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福岡に流されてきた公家さんたち

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私は生まれも育ちも福岡です。福岡には大宰府があり、いわゆる公家さんの窓際部署でした。
そんな九州に来た公家さんたちの話です。

目次

福岡と菅原道真公

なんでも歴史は飛鳥時代からさかのぼるそうで、大宰府周辺の寺院の由来書きなども古いものばかり。
日本で最古の寺院なども多く、どちらかというとさびれた印象でありつつも、情緒ある街並みです。

さて、私の実家は九州でも古い二日市温泉という温泉街で、口から口へと伝えられた話があったりもします。
大宰府政庁があり、太宰府天満宮が今あるところが菅原道真公の邸宅だったそうです。
菅原道真公は大宰府では陰湿ないじめを受けていて、大宰府政庁の役人なのに、席がないものすごく窓際だったらしい。
それなので、とにかく暇だったらしく、大宰府周辺の寺院や神社に通っていたという話が残っています。

そして、大宰府でたくさん京に帰りたいといった内容の漢詩を日々作っていて、石碑があちらこちらに立っているものです。
内容は、漢詩がよくわからない私でもひしひしと伝わっくる、本当に福岡が嫌で嫌でたまらなかったんだろうなと感じるものばかり。福岡はお酒が名産で、温泉も豊富ですが、天神さんは下戸だったらしく対して楽しめなかったようです。
ただ疥癬を患っていたらしく、二日市温泉に毎日通っていたらしいと地元の公伝で残っています。

特に何かに書かれたわけではありませんが、ずっと住んでいる人が言っているのでそうなのでしょう。

福岡と三條実美公

二日市温泉は皮膚病を患っている人が浸かりにいく温泉で、戦時中は火傷を負った兵隊さんの保養施設があったといいます。

湯町には道真公以外に、幕末には三條実美公が失脚して福岡にいて、やはりよく温泉に入りに来たようです。
ただし三條公の方は、そこまで福岡が嫌ではなかったらしく、福岡で詠んだ歌を詠む限り、なかなかエンジョイしている印象があります。
話を聞いていると、その当時福岡藩の領主は黒田公でしたが、黒田公や家臣たちに和歌や書道などを教えるアルバイトをしていたそうな。そしてアルバイトが終わった後に、温泉に入りに来ていたようで、黒田公の御前湯を借りていたらしく、よく入りに来てたと聞いています。
休みはあちこち観光にいって、いろいろ感想を和歌に読んでいるようです。

福岡と人々

想像するに、当時は公家もできることが限られていましたが、御所以外の仕事は気が楽で意外と楽しかったのかもしれません。家庭教師の仕事は割が良かったのか、居候をしつつ食費を稼ぐ生活だったのでしょうか。
福岡には多くの人が流されてきていますが、人それぞれの受け取り方で千差万別、地獄になるか天国になるかはその人次第であったようです。

※画像はイメージです。

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