米国は文化財保護の為に京都空襲を控えたという話が事実ではない事は、今やミリタリー好きの人なら皆ご存知でしょう。さらに京都が原爆投下の有力候補地だった事も判明しています。
この様な事実無根の文化財保護説がなぜ広まったのでしょうか。
ウォーナー伝説
米国美術史家、ランドン・ウォーナー博士は、ボストン美術館で岡倉天心の助手を務めたり、訪日して著名な彫刻家及び仏像修理家である新納忠之助に師事するなど、日本美術の専門家でした。
彼は、文化財保護の為に空爆すべきでない都市をリストアップして、後にウォーナーリストと呼ばれるこのリストにより空爆阻止を米国政府に働きかけたとされました。
戦後、この功績によりで京都や鎌倉などが空襲被害を受けずに済み多くの貴重な文化財が守られたと、戦後、博士の彫像や碑が建てられたり、感謝状が母校ハーバード大に送られたりしました。しかし1994年以後、米国の太平洋戦争に関係する機密文書公開に伴い、ウォーナーリストの目的が戦渦からの文化財保護ではなかった事が判明します。
米国が準備した日本に関する戦後処理の一つとして、日本が占領地で略奪・破壊を行った文化財に対し、当該国からの返還や損害賠償請求があった場合の同等価値の日本文化財での補償が考えられました。
リストの本当の目的は、その為の主な日本の文化財のリストアップだったのです。
博士自身、古都への空爆阻止の為に働いた事は一度もないと言明していました。
陸軍長官 ヘンリー・スティムソンの判断
ヘンリー・スティムソンは、第二次大戦中、対独の強硬政策や日系米国人強制収容などに係わっており、原爆使用の推進においても大きな影響力を持った人物です。
そんなのスティムソンが、原爆投下予定地に京都を入れる事を強行に反対しました。その理由は、もちろん日本の文化財保護などでは決してありませんでした。
対日戦の勝利が時間の問題となっていたこの時期、米国首脳陣は既に戦後の世界情勢対策に頭を悩ませていました。
それは共産主義、つまりソビエトへの対策でした。
ほどんど戦略・戦術的意味がない、日本人の心の街である京都へ原爆使用は、戦後の日本人の対米感情に悪影響を及ぼす可能性が大であるとスティムソンは考えました。
最悪は反米から親ソへと日本が流れるシナリオもあり得る事を理由に、彼は強硬に京都を予定地から外す事を大統領に進言して認められたのです。
GHQの宣伝
この様に米国、特に米軍は日本の文化財どころか、日本人の生命さえ保護しようなどという気はありませんでした。
歴史の流れの悪戯でたまたま京都空襲や原爆投下が行われなかっただけという、京都は地獄の瀬戸際に立っていたのです。
GHQは上記の様な米国側の動きの都合の良い所だけを誇張また偽装する事で、占領政策において日本人の慰撫、親米感情の植え付けを計りました。
戦後の日本人は見事にその術中に嵌ったわけです。
戦争とは無慈悲で残酷なものです。
過去の戦争の本当の姿を知る事で、将来の平和を守りたいものです。
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