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太平洋戦争末期の日本空母

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太平洋戦争は空母が海戦の主役となりました。
真珠湾攻撃から空母を主力として使っていた日本海軍、しかし戦争末期になると空母は受難の時を迎えていました。

目次

昭和19年末の日本海軍空母

昭和19年(1944年)において2つの大きな海戦がありました。
6月のマリアナ沖海戦と10月のレイテ沖海戦です。
どの海戦にも敗北した日本海軍は多くの艦艇と航空機を失いました。

空母も2つの海戦で開戦の時から戦い続けた「翔鶴」と「瑞鶴」をはじめ新型空母「大鳳」など小型空母を含めて7隻を失いました。
レイテ沖海戦の後も日本海軍には空母は残っていました。
ミッドウェー海戦の空母4隻喪失を埋めるべく建造された空母「雲龍」型の「雲龍」と「天城」が昭和19年8月に竣工していました。

■ 公試のため横須賀を出港する雲龍(1944年7月16日)

See page for author [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

商船改造の「隼鷹」と潜水母艦から改造した小型空母「龍鳳」の4隻がありました。
(船団護衛の海上護衛隊には小型空母「海鷹」やパイロットの養成をしていた「鳳翔」があった)
日本海軍は艦隊で運用できるこの4隻に加えて建造中の「大和」型戦艦の3番艦を空母化した「信濃」と「雲龍」型の3番艦「葛城」を加えて機動部隊の再建を考えていました。

再建されなかった空母戦力

空母機動部隊の再建は戦況により難しくなります。

11月29日に竣工したばかりの「信濃」が潜水艦により撃沈
12月19日には「雲龍」も潜水艦により撃沈
「隼鷹」は潜水艦の攻撃を受けて中波
昭和20年を前に2隻が撃沈されてしまいました。

■「信濃」の艦容を伝える唯一のもの(撮影日時:1944年11月11日)

Yamato Museum [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

この時期の日本空母は航空機や部隊・物資の輸送任務で使われる事が多く「雲龍」と「隼鷹」はフィリピンへの輸送任務で出撃して敵潜水艦の攻撃を受けてしまったのです。
また空母機動部隊再建を難しくしていたのは空母に載せる航空隊です。
空母の航空隊も補充と訓練をしていましたが戦況の悪化で陸上基地から出撃する航空隊として使われるようになります。

それでも空母に特攻機を乗せて出撃させる「神武作戦」が立案されましたが中止になっています。
本土へ迫る戦況で日本海軍の余裕は無くなり昭和20年2月には空母機動部隊の再建は断念されます。

残った空母最後の仕事

昭和20年(1945年)8月の終戦で航行できる状態で残った空母は「葛城」と「鳳翔」・「龍鳳」だけでした。
そのうち艦の状態が良い「葛城」と「鳳翔」が海外に居る日本人を本土へ引き上げる為の復員船となりました。
日本海軍の空母はこうして幕を閉じました。

■特別輸送艦時、シンプソン港(現パプアニューギニア)での葛城(1946年1月13日)

By photographer not identified. [Public domain], via Wikimedia Commons

eyecatch credit:Naval History & Heritage Command [Public domain], via Wikimedia Commons

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