疎開のくらし

私のお祖母ちゃんは、秩父が疎開先でした。

祖母は佃島の生まれです。勝鬨橋はこち亀でも有名な所で、あの漫画に描かれている事は祖母もよく知っていました。
戦争が激化し、いよいよ本土に空襲という事もあり、秩父に疎開する事になりました。

場所は今で言う、秩父線のお花畑駅から、車で30分くらいかけて山に向かっていった小さな村でした。
私が中学になった時にお世話になった人が他界した事で、訪れる機会がありましたが、はっきり言って店も一つもなく、何もないのは現在も昔も同じようで、びっくりするくらい田舎です。

そこで一年程度祖母と母兄弟が暮らし、かなり苦戦を強いられていたようです。
母の実家はおこめやさんで、戦時中、戦後と米に困る事は幸いありませんでした。ただ米以外の食料が無いので栄養失調である事は変りません。

話を戻すと、秩父ではご存知の方も居るとは思いますが、秩父うどんと言われるくらいうどんが盛んな土地柄です。これは夏場でも朝方は相当冷えて米があまり育たないので小麦が主食となり、そこでうどんが重宝されたのです。
うどんが打てないと嫁にいけないというわているくらいです。

しかし祖母はうどんなんて作った事がありません。そうなると地方ではこうした女性は浮いた存在となったようです。
疎開でなれない土地の弊害がこうした事になったようです。

その成果、祖母はお世話になった恩は感じながらも、暮らしについてはあまり語ってはくれないのです。
かなり肩身の狭い暮らしだったのかもしれません。

暫くして戦争が終わり、運がいい事に家は焼けていませんでした。
母は確かに貧しい暮らしをしていたとは思いますが、誰も死なないで戦争を切り抜けたというのは、ある意味幸運な事だったと振り返っています。

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