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樺太での日々と戦後日本での生活

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この話は、御年80才overの私のおばあちゃんと、その姉と妹…3人が、昨年のお盆で集まったときに語っていた思い出話です。

目次

おばあちゃん姉妹、樺太での日々

おばあちゃんとその姉、妹は3人とも年齢からは想像できないほど元気です。お酒を飲みながら、ふと幼少時代を思い出して語ってくれました。 3人の両親(私にとっての曾祖父母)は、比較的裕福だったようで、実家の秋田から樺太に移住してからも、不自由ない暮らしを送っていたそうです。

子どもの頃は体の弱かったおばあちゃんは、当時は「日光浴が万能薬」と言われていたらしく、週に何度か、同じように体の弱い子供たちと一緒に、日当たりの良いテラスのようなところで、数時間じっと横になっていたと語っていました。

他に思い出深いエピソードは、樺太犬の面倒を見たことと言っていました。大型犬ではありますが、とても賢く、ソリなどで荷物の運搬をしていたそうです。

戦後、日本での日々

樺太からの引き揚げは大変だったそうですが、なんとか無事に家族誰も欠けることなく戻ってこられたそうです。
その頃の日本は食糧不足に陥っていたそうですが、たくましいおばあちゃん一家は様々な方法で食糧を調達していたと言います。

今ではしわしわになってしまった、おばあちゃん姉ですが、当時はかなりの美人だったらしく、町をあるけば常駐していたアメリカ軍人が口笛を吹いてナンパをしてきたとか。そんなタイミングで、ちゃっかり当時は貴重だったお菓子をもらってきたこともしばしばだったそうで。

また、今は亡くなってしまったお兄さんはハーモニカが得意で、どこに行くにも持ち歩いていたそうです。
アメリカ軍人が集まるところで演奏をし、お金をもらったりしていたとのことです。

まとめ

3人は、微笑ましいエピソードだけを話してくれましたが、語るにはツラいような苦労もあったと思います。
それでも家族の力を合わせて、大変な時代を生き抜いたということ・・・大切な証言だと思います。

※画像はイメージです。

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