私が9歳頃にお祖母ちゃんから聞いた話です。
聞いた時はまだ子供で、ただの怖い話でしたが、今はただただ感謝です。
戦争末期、昭和20年7月、当時お祖母ちゃんは長崎県長崎市に住んでいました。
当時18歳だったお祖母ちゃんも色々な所が米軍の空襲をうけて、沢山の人が亡くなっているという話は聞いていたそうですが、近所の人たちは「長崎は大丈夫よ。こんな端っこの街にまで来ないよ」と話していたそうです。
お祖母ちゃんも長崎にいれば大丈夫と思っていたそうですが、昭和20年7月、梅雨も過ぎて気温が高くなってきた頃から、夜寝ていると「声」が聞こえ初めました。
初めて聞いたのは、夜中に目が醒めた時で「ここはいかん。諫早に行け」という、はっきりとした言葉だったそうです。
その時は夢と思い深く考えませんでした。
しかし、その後も度々夜中に目覚めて、其のたびに「早く諫早に行け」と。
しかも、その声が日に日に鮮明に、しかも怒るような口調になっていったそうです。
「諫早」と言うのはお祖母ちゃんのお祖母ちゃんが住んでいたところで、お墓も諫早のお寺の境内にありました。
毎日のように聞こえる、この声に「これは諫早のおばあちゃんからの警告なのでは」思い、生まれて間もない息子、つまり私の父親を連れて諫早に向かいました。
長崎に原爆が投下されたのは、その4日後で、住んでいた家は爆心地から僅か200メートルしか離れていませんでした。
あの時、お祖母ちゃんのお祖母ちゃんが「ここにおったらいかん」と教えてくれなければ、私のお祖母ちゃんは18歳で亡くなっていたと思われ、もちろん父も同様でそうなれば私も生まれていなかったのだなと思います。
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