必ずしもみんなが不幸ではなかった戦時中の暮らし

小学生の頃、歴史の授業で出された課題で祖母に戦争体験を聞いた。
祖母の住んでいた場所はかなりの田舎であり、農村地帯だったのでおおよそ戦災とはほど遠いところでした。

祖母の家族は女性ばかりで、父親も徴兵される年齢ではなかったので戦死者どころか従軍経験者もいなく、ただお国のためにと農作物を作り、提供する日々を送っていたそうです。

祖母の日常

祖母は当時小学生の低学年ほどの年齢だったので、近隣には軍需工場はあったのですが、あまりに幼かったため動員されることはありません。
戦時中と言うこともあって気持ち程度学業で授業はほとんど無く、農耕に費やされる毎日だったそうです。
他にはまれに竹槍の訓練や防空壕への避難訓練もあったらしいとか。

普段の生活は、時代相応の質素なものはあったようですが、周りも農家だったこともあり、戦争の物資として作物を一部提供しても暮らしに困ると言うほどのことではなかったらしい。

戦争中でもこころ安らぐひととき

祖母のような農地の子供たちは、そう言うわけで比較的都市部に比べると危機感には乏しかったようで、授業が終われば近くの小川に遊びに行き、魚や蛙を捕まえたり、野山に入り木の実を集めたりして過ごしていました。

しかしそうは言っても戦時中、近隣の町の上を敵機が飛ぶと一応空襲警報としてサイレンが鳴らされたと言うことです。
はじめはドキドキしながら防空壕に隠れていたようですが、農村部なので実際に爆弾が落ちることはついぞなかった。
そうなると祖母も慣れてくるもので、サイレンが鳴ってものんびりとしていました。

ということは周りの大人たちもまさか村に爆弾が落とされることは無いだろう・・・とおおらかに構えていて、でもサイレンが鳴ると応非常体制にはなるらしく、学校は休校となったらしい。
祖母曰く、サイレンが鳴っても防空壕に隠れていればいいだけだったから、学校が休みになる方が嬉しかったと。

おわりに

以上が祖母から聞いた戦争体験です。
メディアで聞かされる、どれも悲惨な戦争の話とかなりかけ離れているから、今でもよく覚えています。
こういう戦時中の静かな暮らしも語り継いでいかなければならない遺産なのかもしれない。


鳥居の上の鳥し
のどかな田舎に在住しています。

※画像はイメージです。

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