ロボトミー それは夢の治療法? 禁忌の手術

医療技術とはトライアンドエラーの繰り返しによって進歩した。
発展の過程において、技術の未熟さや誤った考えに基づく医療によって、その症状や状況が悪化したり、場合によっては亡くなってしまったりといった犠牲も多くあったことだろう。
悲しいことではあるが、現代に生きる私達が享受する医学はそうした過去の犠牲の上に成り立っているものなのかもしれない。

しかし、この医学発展の歴史を紐解くと、「なんでそんな治療・手術がいいとおもったのか」と素人ですら首をかしげるような医療も散見される。
その1つが「ロボトミー手術」と呼ばれる、人を壊す手術だった。

目次

精神医学の歴史

精神病治療の歴史は、他の医学の歴史から見ると浅いものだ。
精神病は古来から長らく、世界各地で悪魔や悪霊が憑いたため、または神に呪われたり、逆に神が憑いているためになると考えられ、おおよそ「医学」とは切り離された所で考えられてきた。
17世紀頃から医学全体の進歩に伴い、精神病も徐々に病気の一種と捉えられるようになったものの、対処としては、専用の収容施設を作り隔離・拘束するだけで、治療にはまだまだほど遠い状況だった。

しかし、20世紀初頭この精神医学の鬱屈とした状況に風穴を開けるように、対処療法が開発される。
統合失調症の治療として、「インシュリンショック療法」や「電気痙攣療法」、進行性麻痺患者に対する治療として、「マラリア発熱療法」といった治療法が続々と登場したのだ。

そして、1935年エガス・モニスという医師が60歳の女性患者に対し、初めてある手術を行う。
これが後の「ロボトミー手術」である。

画期的な治療法の発明

エガス・モニスは、ポルトガル出身の神経科医だ。ポルトガルで医学を学び、フランスで神経学を修めた後、故郷で大学教授となる。
その後、政治家を経て、再び医学の道に戻ってきたという人物だ。

モニスは、1935年に開催された国際神経学会議でアメリカの神経生理学者が、「チンパンジーの前頭葉を切除すると性格が穏やかになった」と発表したことを聞き、これを人間に応用することを思いつき、すぐに実行に移した。
モニスと彼の同僚は、患者の頭蓋骨両側面に穴を開け、当時、知性と感情をつかさどる部分と考えられていた前頭葉皮質と知覚を脳に伝える部分と考えられていた視床をつなぐ神経線維の束(白質)にアルコールを注入。これによって白質を破壊したのだ。

その後、モニスは合計20人もの患者に同様の手術を施す。
手術後、6人には変化がなかったものの、7人は改善、残り7人がやや改善というまずまずの結果だったという。
また、手術を重ねる中で、ロイコトームと呼ばれるメスによって白質を切断する手法を確立。
彼はこの術式を、白質を表す「ロイコ」と切除を表す「トミー」から「ロイコトミー」と名付け、手術結果と共に1937年に世の中に発表した。

モニスの発表に、精神病に対する効果的な治療法はもう存在しない、と半ばあきらめかけていた精神医学会は湧きたった。
特にこの発表を歓迎したのが、アメリカだ。

アメリカの精神科医ウォルター・フリーマンと脳外科医ジェームズ・ワッツは、アメリカ国内で初めてロイコトミー手術を実施。手術技法についてもさらに研究を重ね、ロイコトミー手術を標準化し、器官の一部分を表すロボ(葉)と切除を表すトミーから「ロボトミー」と名付けた。

フリーマンはさらに、このロボトミー手術に独自の改良を加えていく。
まず、脳に電気ショックを与えて麻酔の代わりとし、左右の瞼の裏から眼窩(瞼の裏の眼球を覆う骨)に、改良したロイコトームを差し込み、頭蓋骨の薄い部分を打ち砕いてしまう。
骨がなくなり、空いた部分から前頭葉にロイコトームを差し込み、前後にそれを動かす事で、白質を切断するという手術方法を開発したのだ。

この方法であれば、手術室も麻酔薬も外科医すらも必要なくなり、手術は簡単、スピーディー、かつ安価にできる。
この手術は「経眼窩的ロボトミー」、通称「アイスピック・ロボトミー」と呼ばれ、アメリカの精神科病院で積極的に採用されるようになった。

アイスピック・ロボトミーを開発した後、フリーマンは積極的にアメリカ中の精神病院を訪問し、ロボトミー手術の普及に努めた。その結果、1970年代の初頭までに、アメリカではわかっているだけでも2万件以上のロボトミー手術が行われたそうだ。また、彼自身も多数の手術に携わり、記録に残っているだけで、40年間に3439件ものロボトミー手術を実施したという。

こうして、ロボトミー手術は世界の精神外科手術の主流となっていく。
エガス・モニスは、「ある種の精神病に対する前頭葉白質切截術の治療的価値に関する発見」という功績を認められ、1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

Florian PircherによるPixabayからの画像

ロボトミーの凋落

ノーベル賞受賞により、エガス・モニス、そしてロボトミー手術の名声は最高潮に達した。
しかし、考えてみてほしい。
脳の働きは現代科学をもってしても、今だそのすべてが解明されたわけではない。
1940年代の医学で解明されていた部分は、現代よりさらに限定的であっただろう。

そんな状況で、「精神病は脳の一部が悪いせいだ。ならば、その脳の悪い部分を切除してしまおう」というのは安直すぎる発想ではないか。
しかも、フリーマン考案のアイスピック・ロボトミーに至っては、「瞼の裏から差し込んだ器具を無造作に動かして白質を除去してしまおう」という乱暴さだ。
この行為は脳の治療というよりも、もはや脳の破壊といってもいい。

確かにこのロボトミー手術によって、暴力的傾向が落ち着いたり、不安症がやわらいだりして、めでたく社会復帰を果たした患者もいたようだ。
しかし、そのようなめでたい患者はごく一握り。
ロボトミー手術の高まる名声の一方で、決して芳しいとは言えない手術結果が増えていく。

そもそも、モニスは最初に手術を施した患者の結果について、7名が改善、7名がやや改善、6名が変化なしと発表していたものの、患者達には、失禁、下痢、眼瞼下垂、無気力・無関心、見当識障害といった合併症とみられる症状が確認されている。
当時、彼は「これらはあくまで一時的なものだ」と主張していた。

フリーマンは1936年に彼自身最初のロボトミー手術を実施した後、1942年までに200回以上のロボトミー手術を行っている。
報告された結果は63%で病状が改善、23%は不変、14%が術後病状が悪化(死亡を含む)したというものだった。

病状の改善とは、精神病と診断されるきっかけであった混乱状態や暴力的傾向はなくなったという意味で使われている。
しかし、その一方で多数の患者は、人として持っていたはずの感情が消え、個性を失い、おおよそ人間とはいえない状態になってしまったのだ。ロボトミー手術に対する批判の声は徐々に大きなものとなっていった。

手術の被害者

ロボトミー手術の被害者で世界的に有名なのが、ローズマリー・ケネディという女性だ。
彼女は、有力政治家であったジョセフ・P・ケネディの娘であり、第35代アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディの妹、つまり華麗なるケネディ家の娘である。

ローズマリーは知的障害児だった。
この知的障害は遺伝というよりも、分娩時の医療ミスによって脳への酸素不足を引き起こしたことが原因になったのではないかと考えられている。
ローズは18歳になっても勉強の進度が遅く、知能テストの結果、精神年齢は8歳から12歳、IQも60から70程度と判定された。

彼女の両親は、周囲にローズマリーの現状を悟られないようにすると同時に、学習の遅れを取り戻し、彼女を社交界の一員とするため教育に奔走した。
しかし、両親、そして本人の努力の甲斐はあまり見られず、ローズマリーは美しく大人しい性格の女性に成長したが、年齢相応の知性を身に付けることはできなかった。

結局1938年、父親が駐英大使に任命され、一家でロンドンに移住したタイミングで、両親はローズマリーをモンテッソーリ式教育所に寄宿させることにさせ、彼女はそこにあった幼稚園で子ども達に本を読み聞かせるなど、奉仕活動をして静かに暮らすことになった。
ところが、家族が恋しく、兄弟達同様の自由な生活を夢見るローズマリーは、夜な夜な寄宿先を抜け出すといった問題行動を起こすようになる。

この行動に対し、純粋で美しいものの、人並みの性知識や他人への猜疑心を持たない若い娘が夜の街にくり出すことで、事件に巻き込まれたり、望外の子どもを身籠もるなどのスキャンダルを起こすのではないかと両親は危惧した。
特に父ジョセフは、彼女がケネディ家の政治活動の障壁になり、家名に泥を塗るのではないかと不安視したのだ。

そこで彼は、フリーマンと共にロボトミー手術を行っていたジェームズ・ワッツに娘について相談し、ロボトミー手術を受けさせることを決めた。
ジョセフは妻や本人にも手術のことを教えず、勝手に手術の同意書に署名。
1941年、ローズマリーはウォルター・フリーマンの心理テストで「精神障害」と診断され、ロボトミー手術を受けることになった。

話の順序から言って、手術を受けさせることありきで診断をだしたのは、ほぼ間違いないだろう。
本人の希望を聞くこともなく行われた手術の結果は散々たるものだった。
IQはさらに低下し、2歳児程度の知能指数となってしまった上、半身にマヒが残り、普通に歩くことも、話すこともできなくなってしまったのだ。

ローズマリーの母親は、この手術結果にショックを受け、1度面会したきり2度と自ら娘を見舞うことはなかったという。
純真で両親のことが大好きだったローズマリーは強制的に後遺症を負わされ、その後、家族の記憶から抹消されたようにいくつかの施設をたらいまわしにされながら、残りの人生を無気力に送ることとなる。
やがて母が高齢になると、妹の尽力もあってようやく家族との交流を取り戻せたものの、彼女の状態が回復することはなく、2005年、ローズマリーは86歳で家族に看取られながら亡くなった。

ロボトミーは誰のせいか

なぜロボトミー手術は一気に時代の寵児になりえたのであろうか。
考えられるのは、精神疾患を取り巻く当時の状況だ。
ロボトミー手術が隆盛を極めた1950年代、世界的に精神病患者が増え続け対応が急務だった。
大きく関係しているのは、戦争だろう。

戦争の第一線に駆り出され、その悲惨な現場で心身をすり減らしてしまった人はもちろんのこと、故郷に戻ってきてもうまく元の生活になじめず、アルコールや薬物に手を出し、精神を病んでしまう者が多数出たのだ。
また、実際に戦闘に参加した者以外にも、戦争で愛する人を失ったり、生活を破綻に追い込まれたりといった理由で同様の症状が出た人達もいたはずである。
精神病患者を治療したいという世論の高まりの一方で、その期待に応えられるほど精神医学の研究は進んでいなかった。
精神科医達らは、人々の願いと現実の医学レベルの差を埋めるべく、そして目の前の精神病に苦しむ患者を救うべく、研究に励んだのであろう。

恐らくはモニスやフリーマンらも同じ志だったはずだ。しかし、事が性急すぎた。
彼らが考えていたほど、脳というものの働きは簡単なものではなかったのだ。
人間性など、考慮せず、目先の病という問題さえクリアできればOKという、マッドサイエンティストもいたかもしれないが、手術後のデータが蓄積されるほど、手術を行った大概の医者達はロボトミー手術が、行ってはいけない禁忌の手術だと気が付いたはずだ。

ただ、手術の手を止めれば、世論の期待を裏切ることになるし、今更この手術が悪手出会ったなどと言い出せば、責任問題となって自分達が糾弾されるかもしれないと思うと引っ込みがつかなくなってしまっていたのだろう。
責任問題から逃れるためには、ロボトミー手術の正当性を主張し続けるしかない。
ある種の見栄のようなものだ。

医学の進歩とズレ


ロボトミーとは、世論とそれに応えようとして背伸びしすぎた医学のズレのようなものが生み出してしまったのかもしれない。もしそうだとすれば、今の世でも、またこういった悪魔の治療法がひょっこり顔を出す可能性もあるのだろう。

1952年、フランスの化学者ラボリによって世界初の抗精神病薬が発見され、精神疾患に新たな治療法が生まれた。
手術結果の重すぎる代償と代替療法の登場により、ロボトミー手術は1950年頃をピークに衰退していき、結局、1970年代には世界中で禁止されることとなった。

※画像はイメージです。

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