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幻の「戦艦大和・改」が存在した?!

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戦艦大和といえば旧日本軍の主力戦艦としてあまりにも有名ですが、その後継鑑が計画されていたことはあまり知られていないかもしれません。
結果的に実現こそしませんでしたが、いわば「戦艦大和・改」の計画が存在していたのです。

かつて連合艦隊は戦艦の建造に力を入れていました。
しかし巡洋艦や駆逐艦などに比べると、戦艦は規模も最も大きく、予算の都合も膨大にかかるので、おいそれとかんたんに建造できるものではありませんでした。

それでも、戦艦大和と戦艦武蔵に続き、幻の「戦艦大和・改」は2度計画されました。

目次

1度目の計画

1度目は「マル4計画」による大和型4番艦(第110号艦)と、5番艦(第111号艦)です。
ところが、大和型4番艦は実際に起工されたものの、のちに空母信濃へと改造されてしまいました。

1942年6月のミッドウェー海戦で空母赤城など正規空母4隻を喪失したため、艦船建造っ計画が見直され補充の空母が求められたからです。

戦況の悪化が巨大艦の建造には逆風だった事もあり、時代の流れで大艦巨砲主義よりも、航空主兵主義に重きが置かれるようになっていました。
つまり「戦艦大和のようなデカブツは、もう必要ない」というわけです。

ただ、この空母信濃には悲劇が待っていました。
当時7割ほど建造が進められていた大和型4番艦が改装された空母信濃は、もとの設計思想が「戦艦」なだけあって、とりわけ防御力の高い空母として前線に送り込まれる予定でした。

ところが竣工後初めての航海で呉へと向かう途中、米潜水艦アーチャーフィッシュの魚雷4本を被弾、沈没してしまったのです。
空母信濃はわずか約17時間という短命に終わってしまったのでした。
これはおそらく世界記録的な短さでしょう(不名誉な記録ですが……)。

さらに、5番艦も起工後に建造中止の憂き目に遭ってしまいました。

■ 公試航行中の信濃Yamato Museum / Public domain

2度目の計画

2度目の計画は「マル5計画」でした。
ここで計画された「戦艦大和・改」の特徴は、以下の通り。

・戦艦大和では重装甲すぎた水上部分の装甲を薄くする
・水中魚雷や機雷に対する防御態勢を2重から3重に強化する
・46cm砲を超える51cm砲の装備

なんといっても巨大な51cm砲の装備にはロマンがありますよね。
しかし、この「超大和型」の第798号艦と第799号艦は、結局起工されることがありませんでした。
51cm砲の試作や試験などは進められたといいますが、やはり「デカブツはもう必要ない」という声が大きかったようです。

※画像はイメージです。

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