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激戦地だった満州でのできごと

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私が6歳頃に母方の祖父が話してくれた戦争体験談で、祖父は満州に派兵されていました。
太平洋戦争中の満州は激戦地として知られていますが、20歳前半で派兵された母方の祖父が語ってくれた現地の話です。

20名ほどの部隊を基本として行動しており戦闘の最前線に立っていたため、常に緊張状態の中で日々を過ごしていました。
陸軍に所属しており、敵と遭遇すると至近距離での戦いになることが多かったようです。

当時の武器は現在のように発達しておらず、揉み合いながらナイフで格闘もあって、相手の表情が分かるほどの距離で戦いますから、あとになっていろいろな感情が芽生えてトラウマのような感じになったそうです。

ときには生きたままで捉えられる中国人もいましたが、最終的には処刑されることは分かりきっていました。
戦闘の上官の命令は絶対ですから、祖父も指示に従って処刑を行ったことがあり、当時を振り返ってみて、命乞いをする人間を殺してしまったことに罪悪感を抱いていました。

祖父がよく言っていたのは、中国人も上の命令によって動いているだけだということでした。彼らにも家族があって、戦争さえなければ優しい気持ちで平穏な生活が送れたはずで、
戦争は人格を変えてしまうものだと語っていました。

戦争は人を殺し合う悲惨な面が多いですが、仲間との交流が辛い派兵生活を支えてくれました。
心身の疲労は極限状態でしたが、家族の話などして心を和ませ帰国の希望を捨てませんでした。

仲間が戦死したときにはみんなで悲しみ、敵の攻撃をしのいだときにはみんなで歓喜して連帯感を高めていきました。
激しい戦闘地でありながら、祖父の部隊は多くの生存者を残して終戦を迎えました。

戦友とは交流を持ち続けていましたが、当時の話になると複雑な気持ちになってしまうようです。

※写真はイメージです。

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