連合艦隊で海上護衛部隊を編成したものの、アメリカ軍潜水艦は積極的に日本の船舶を攻撃しています。
日本海軍は損害の多さから海上護衛の専門組織を立ち上げます。
アメリカ軍の潜水艦作戦
アメリカ軍潜水艦は太平洋戦争が始まるとすぐに出撃して作戦を開始していました。
当時のアメリカ海軍作戦部長であるハロルド・スターク大将は無制限潜水艦戦を命じ、1941年(昭和16年)12月16日には海南島沖で「熱田山丸」を「ソードフィッシュ」が撃沈している。
アメリカ海軍潜水艦も日本海軍の潜水艦と同様に、艦隊決戦を行う主力艦隊の為に行動するとされていました。
真珠湾攻撃で主力たる戦艦部隊が撃破されてしまい、通商破壊作戦へ出撃したのです。
しかし、Mk14魚雷が敵船に命中しても不発が多かった。
問題がある魚雷は1943年に改良され、同時期に潜水艦へのレーダー搭載も進み、米潜水艦はより強力な戦力となった。
作戦では複数による群狼戦術を採用し、情報収集も暗号解読により日本船団の位置を特定できるようになっていました。
海上護衛総司令部創設
米潜水艦による通商破壊作戦が本格的になった1943年(昭和18年)秋から日本の船舶の被害が増えます。
それまで多くて10万トン以上の被害が、1943年の9月から20万トンを越える月が増えます。
こうした船舶被害の増加で11月に海上航路を守る専門組織、海上護衛総司令部が設立された。
連合艦隊の第1海上護衛隊と第2海上護衛隊が海上護衛総司令部に移り、各鎮守府と警備府も指揮下に置き、ようやく数が増え始めた海防艦、海上護衛の任務で編成された航空隊も加わります。
航路を守る戦力が次々に揃った海上護衛総司令部でしたが、船舶の被害は減りませんでした。
守れなかった航路
海上護衛総司令部は大船団で船舶をまとめて護衛し、機雷を敷設して米潜水艦の侵入を防ごうとするなど航路を守る戦略を実行した。
しかし、短期間の訓練で投入される新造海防艦は敵潜水艦に敵わず、逆に撃沈される事もありました。
装備の面ではレーダーを全艦装備した米潜水艦に対して、レーダーの装備が進まず、レーダーの性能が低い日本海防艦では苦戦を強いられていた。
マリアナ諸島とフィリピンが米軍に占領されると、もはや日本にとって安全な航路は無くなります。瀬戸内海ですら機雷で航行ができなくなってしまった。
日本の海上護衛の失敗は出遅れによるところでした。
対潜戦闘の人材教育にレーダーなどの技術開発、海上護衛総司令部設立がどれも遅かったと言えますが、戦前は対米戦を短期戦で戦うとして海上護衛の必要性は低いとしていた開戦前の方針が大きく影響していたとも言えます。
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