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英国の美少女殺人鬼メアリー・ベルの数奇な生涯

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1968年5月25日、英国のニューカッスルで痛ましい殺人事件が起きました。幼い男の子が惨たらしく殺されたのです。
この悲劇の真犯人こそメアリー・ベル、当時まだ10歳の可憐な少女でした。

目次

メアリー・ベルの生い立ち

メアリー・ベルは1957年5月26日、英国のニューカッスルで生まれました。母親のベティは当時17歳の売春婦、メアリーは私生児です。分娩直後、看護師が抱いた我が子を一目見たベティは「それをどっかやって!」とヒステリックに叫んだそうです。この事からも彼女の誕生が決して祝福されたものではないのがわかりますね。

メアリー・ベルは情緒不安定な母親に虐待されて育ちました。ベティは薬物中毒者であり、メアリー・ベルは物心付いた頃から母の覚せい剤を口に入れてしばしば死にかけていました。幼少時は母と継父と犬と、不衛生な環境で暮らしていたそうです。

またメアリーは継父を伯父と呼ぶように躾られていました。そうしないと生活保護が支給されないからです。薬物依存の売春婦とそのヒモに虐待されていたメアリー・ベルは、幼い頃より非行を繰り返し矯正施設に放り込まれますが、そこでも頻繁に問題を起こしました。彼女は重度の虚言癖で、非常に賢い子どもだったのです。一部では矯正施設に収容されていた時に職員から性的虐待を受けた、母親立ち合いのもとオーラルセックスを強要されたともいわれています。

恐るべき殺人事件は失われた子ども時代への復讐?

最初の事件は1968年5月25日に発生します。スコッツウッドの空き家の二階で4歳のマーティン・ブラウンが殺害されていたのです。彼は口から血を流し絶命していました。

さらに2か月後の7月31日、今度は3歳のブライアン・ハウが消息を絶ちます。姉の捜索中にメアリーとその友人・ノーマが現れ、ブロック塀の間でブライアンが死んでいると教えました。

ブライアンの遺体の上には紫の花びらがまかれていました。鑑識が調べた結果、ブライアンの死因は子どもの手による絞殺だと確定。メアリーとノーマは警察に逮捕されます。

メアリー・ベルはサイコパスか、不幸な犠牲者か?

メアリー・ベルの異常行動はこれだけにとどまりません。二人の幼児の殺害後、わざわざ遺族の家を訪ねて殺害現場に連れて行く等その言動は常軌を逸しています。さらにはブライアンの葬儀を見守り、心底楽しそうに微笑んでいる所を隣人に目撃されています。

裁判の争点へメアリーとノーマ、どちらが主犯かに絞られました。二人は相手が主犯だと互いに主張したものの、結局メアリーが敗れます。裁判中ノーマは両親のほうを心配に振り返りましたが、メアリーは情緒不安定な母親を冷たく一瞥しただけでした。

希代の殺人鬼メアリー・ベル。1998年に自伝「魂の叫び」を出版した彼女は、子どもたちや大勢の孫に囲まれ、現在も英国で暮らしているそうです。

※画像はイメージです。

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コメント一覧 (1件)

  • メアリー・ベルの存在を知らなかったのですが、切り裂きジャックをはじめ、イギリスには殺人鬼が多いですね。興味深く拝読しました。

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