最近は、第二次大戦時の兵器が3Dモデルとしてゲーム内を移動したり、戦車や戦闘機などは実際にゲーム内で相手に攻撃出来るようなものがあったりしますが、その大きさとかはまだまだ実感出来ないモノも多いように感じます。今回は、史上初のロケット戦闘機となるメッサーシュミットMe-163とその技術を受けついだ日本の秋水について考えてみたいと思います。
トラックの上に置かれた機体本体
画像検索サイトで見つけた1枚の写真、米軍のトラックの上に置かれたメッサーシュミットMe-163の機体本体部分。トラックの乗車口とかと合わせて考えると、高さは人間の身長と同程度で、機体の長さもゼロ戦とかBf-109、ムスタングなどの有名なレシプロ戦闘機たちよりも短いことが分かります。
しかしながら、その分、左右の主翼のみ(尾翼はない)で構成されていて、翼の大きさや形状もこれらの戦闘機とは異なる無尾翼機らしい大きさになっています。
図面の解釈など苦労した日本
さて、ロケット戦闘機であるMe-163の体験手記となると、M・ツィーグラー・著『ロケット・ファイター』(朝日ソノラマ・昭和59年刊)が有名ですが、日本版のこの文庫本には、本編の後に多賀一史氏による『日本のロケット・ファイター』という文章が添えられていて、陸海軍共同開発となったロケット戦闘機、及びそれが「秋水」として完成するまでの話が取り上げられています。
その中を見てみると、マイクロフィルムから起こしたMe-163の図面、その正しい大きさを調べようにも拡大した図面故に、正しいのは図面の線の内側なのか外側なのか?
解釈するところから、陸軍航空隊がフランス系、海軍航空隊がイギリス系の設計の影響を受けているがための、レバー1つにしてもその操作はどうするのか?(英仏では操作の方向が逆で、それがそのまま陸海軍航空隊の機体操作の違いになっている)など、敗色濃厚となった戦時下でも対立していたとか。また、エンジン部分もワルター式ロケットエンジンで苦労をしたという記述があったが、海軍の持つ酸素魚雷などの以前からの技術の蓄積により解決されたとか。
Me-163よりは活躍したのでは?
それでも昭和20年7月7日に「秋水」が初飛行を行ったことと、エンジンを抜いて滑空訓練用にグライダーとしてMXY-7を完成させたことを思うと、日本の技術陣の「最後の維持」と見ることが出来ると思いますし、もしB-29迎撃機として陸海軍の航空隊がこのロケット戦闘機を使用していたら、ドイツにおけるMe-163よりは活躍したのでは?とも想像したりしています。
航空機と言えば、人間よりも大きいというイメージがありますが、このMe-163とかを見ると「そうでもない」という機体があることは個人的には嬉しかったですね。
eyecatch source:Royal Air Force official photographer, Public domain, via Wikimedia Commons
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