明治維新の立役者は、薩長土肥だけではありません。
それは思いもよらない人物でした・・・
御算用者
加賀藩には御算用者という、藩財政担当の役職がありました。
政治行政の全ては財政と無関係には動けず、それは必要不可欠なものなのですが、江戸時代の武士社会では算術は非常に軽視されていました。
武士たるもの、お金にまつわる事柄に係わるなど恥である、ということです。
だから多くの藩では、人材育成の藩校などで、上級武士には算術は教えていません。
そんな中、加賀藩は珍しく算術を大切にした藩で、通常、行政を行う奉行所内に勘定方という会計部門が置かれましたが、加賀藩では、御算用場という会計機構内に行政部門がありました。
御算用場に努める御算用者は算術の専門家で、藩全体の経済運営に関する膨大な会計処理を行う、高度算術の特殊技能者でした。
算術の重要化
明治維新は欧米技術の激しい流入の時代でした。
その一つが軍事技術です。
例えば大砲性能は飛躍的に進歩し、それまで目測と勘だけで目標を狙っていたものが、射撃距離の遠距離化により弾道計算や測量技術が必要になりました。
またそれぞれの武士が膝下の人員・武力を管理し、その各武士団を積み上げる形の軍組織だったが、国家が一括して組織する体制に変化し、膨大な武器・糧秣など兵站管理が不可欠になりました。従ってその全てで必要な算術が重要となったのです。
加賀藩御算用者 猪山成之
加賀藩御算用者、猪山成之は算術の天才でした。
鳥羽伏見の戦いで勝利し、官軍となった新政府軍から突然、猪山成之は軍務官会計方を命ぜられました。
彼の天才的会計処理能力を知った、やはり天才的戦術家・大村益次郎の抜擢でした。
新政府首脳は元武士が大多数でしたから、政治軍事の専門家ばかりで、例えば1万人を1ヶ月行軍させるとワラジが何足いるかという計算し調達してくる、会計の実務家が不足していました。
益次郎の下で成之は、何万両単位の軍資金の調達係など八面六臂の大活躍をします。
それは幕末歴史の表舞台には出ない、抜群の功績でした。
猪山成之と加賀藩は明治維新の立役者として、薩長の西郷、木戸らと並び賞されてよいはずです。
歴史の裏側では、必ずお金が動いています。
参照:武士の家計簿 磯田道史 著
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