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今私がここにいる奇跡

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私の祖父は太平洋戦争の時に中国に出征しました。
無事生還し、何十年もの年月が過ぎてからも、祖父の頭には戦時中の出来事が鮮明に残っていたようです。
まだ小さかった孫の私に、いつも戦争で体験した出来事をいろいろと話してくれました。

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祖父の唯一嫌いな食べ物、その訳は・・・

祖父は好き嫌いがなく、なんでも食べることができましたが、唯一、トマトだけは見るだけで吐き気がして、食べられないと言っていました。
それは、戦時中の苦い体験が原因です。

中国にいた時、空腹のため民家の軒先に実っていたトマトをとってそのまま食べたのですが、当時、そのあたりのトマトにはたくさんの薬が撒かれていました。
洗わずに食べてしまったため、祖父は大変な食あたりの症状に悶絶することとなり、それ以来、祖父はトマトを全く食べることができなくなったそうです。
確かに私は、祖父がトマトを食べていることは見たことがありません。

数10メートル先に落ちてきた爆弾

ある日、祖父はすぐ近くの上空から爆弾が落とされたことに気づき、全速力で無我夢中で走り、その場から数10メートルぐらい離れた場所に逃げました。
それでも、吹っ飛ばされそうなくらいの衝撃を全身に受けて気絶し、気が付いたら手首に爆発して飛んできた爆弾の破片が刺さっていました。

動脈からわずかに逸れた位置に刺さっていて、あと数ミリずれた場所に刺さっていたら、祖父は出欠多量で亡くなっていたことでしょう。救護テントで医師に手首の破片を取り去ってもらう時には、痛みと恐怖で目を開けて見ていることができなかったそうです。

そんな一歩間違えば、命を失っていてもおかしくなかった、そんな恐ろしい出来事から祖父が見事に生還したからこそ、今私はここに存在しているんだ・・・と知りました。
厳しく過酷な戦争の時代を生き抜いて、祖父はその尊い命を私へとつないでくれました。
私は戦争を知らない世代に生まれましたが、自分が今こうして生きていることの大切さを、忘れずに生きていきたいと思います。

※写真はイメージです。

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