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とある根こそぎ動員徴集兵の話

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これは20年前ほどに他界した、私の祖父の弟の話です。
だいた30年程前に親戚が集まった、酒の席で聞いたのです。
とても印象に残り、言わんとしている事を少しづつでありますが理解しつつある。
そんな話です。

目次

祖父の弟

祖父の弟は子供の頃から足が悪く平時であれば当然判定区分丁種で徴兵免除なのですが、時代は1945年、太平洋戦争末期の所謂「根こそぎ動員」で徴集されてしました。その方の当時の所在地は東京だったのですが本籍が札幌だったため北海道の部隊に配属されました。同じ部隊に平時なら徴兵検査で判定区分丙種丁種に区分され徴兵されないような方々も多々居たので「周りも丙種丁種ばかりだし、こんな私も徴兵されたしこりゃ戦争に負けるのでは」と密かに思っていたそうです。当然口には出さなかったですが。

軍隊というと厳しいイメージがありますが、運よくというかたまたまというか理解ある士官や下士官に当たったみたいで色々気を使ってもらい訓練は別メニュー、作業も楽な作業を割り当てられたみたいで助かったと言っていました。しかし、そこは日本の縮図、当然虐めてくる兵士もいたそうで、色々と悪口を言われたとの事です。(幸いにも体罰はそれ程受けなかったとの事)ただ、意外にも世間のイメージほど悪くは思っていないとの話でしたが、「徴集されたとはいえ期間が短かったし、何よりも内地で終戦を迎えたのが大きかった」とも言っていました。

部隊に配属

部隊に配属されてから程なく終戦になったため軍隊生活は長くは続かず、部隊を解散する時にささやかな打ち上げを開いた時、優しくしてもらった方や普通に接していた方々は皆さん出席したのですが、虐めた連中は皆逃亡して居なかったみたいです。その方曰く「復習されるのが怖いんでしょう」と笑顔で話していたのが印象的でした。

その後復員されたのですが、焼け野原の東京を見て「もし徴集されなくて東京に留まっていたら空襲で間違いなく死んでいた。陸軍に徴集されて空襲の少ない北海道に連れてこられて助かった」と、思ったとの事で運命って本当にわからないものですね。

あのときのこと

その席で当時中学生に入ったばかりの私は、剣道部に入ったことを告げると「おお!剣道やるのか!剣道は体も心も鍛えられるからいいぞ!」と言ってくれたのが印象的です。

当時は穏やかな親戚の方というイメージしかなく、言葉通りの意味しか捉えてられませんでしたが、祖父の弟も亡くなり20年程経ち当時の歴史を多少なりとも知った今、その方が言わんとしている事を少しづつでありますが理解していると感じています。

※画像はイメージです。

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