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昔話は現実の歴史物語 桃太郎編

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私達が幼少時期によく読んでもらった昔話。
桃太郎はだれしも知らない人はいない有名な昔話で、お腰に付けたきびだんごをやり、犬・猿・雉をお供に連れて鬼退治へ・・・。
その話が、本当に会った話で、歴史上の人物、神話の神と繋がっているのだとしたら?
この度は、桃太郎を語る。

目次

桃太郎は実在した

桃太郎は桃から生まれ、お爺さんお婆さんに育てられ、犬・猿・雉を仲間に鬼退治に行く。
チーフとなった話は数多くあるが、その有名なものの一つが岡山県にあるのは知る人も多い。

その話は、岡山県に温羅という鬼が住んでおり悪事を働いていたため、孝霊天皇の子、五十狭芹彦命(いつせりひこのみこと)を討伐に派遣したことに始まる。
狭芹彦命は、温羅の住む鬼ノ城に攻め込む際、三人の家臣を随行して向かった。
ここに、犬・猿・雉が登場する。

犬・猿・雉とは何だったのか

犬・猿・雉には色んな言われがある。
一つは、儒教の教えの「智・仁・勇」だとするものがあり、徳の中でも特に大切なものとされる3つである。
この儒教的なものを動物に当てはめることにより、分かりやすく覚えやすいようにしたと言われている。
また、これらの徳を身に付けたからこそ、鬼を退治できたと言われる他、桃太郎を健康、きび団子を富として、5つの徳で幸せになるという。

二つは、陰陽五行説から、鬼は角を生やし虎のパンツを履いていることから、丑寅の方角を示し、これは鬼門に当たる。
その反対の裏鬼門が、申酉戌となり鬼を抑える者達となります。
三つは、それぞれ狭芹彦命に仕える家臣の部族だったと言われるものだ。
犬は犬養、猿は猿田彦の末裔、雉は鳥飼もしくはその末裔と言われる人々のことだという。

桃太郎伝説の顛末

犬・猿・雉の顔触れがそろい、鬼ヶ島へ
赤鬼と桃太郎の戦いで、血に染まった土地は未だに赤土と言われるほどの死闘だったようで、互いに弓の応戦で激しい戦だったのだが、狭芹彦命の放った弓が、赤鬼の目を射抜いたため大出血となりその血で川が赤く染まったという伝説もある。
狭芹彦命が首を取ると不気味にうなりを上げたという。

吉備津神社の大釜の下には、鬼の首が埋まっているとも言われており、その鳴り響く音で占いを行うそうだ。
戦いの後、狭芹彦命は吉備の地を与えられ、名を吉備津彦命と名乗った。
ちなみに桃は、魔よけとして使われたもの、そしてきびだんごは、恩賞となった土地と言われている。
ちなみに、退治された温羅だが、実は浦島太郎こと浦嶋子と同族であり、月の国の一族であるという。

天皇家は天照大神の系図であり、温羅が月読尊の系図とするならば、何か因縁を感じずにはいられない。
昔話は、隠された一族の話を、物語として伝えたもの、つまりは全て実在した話だったのかもしれない。
いまでも、桃太郎伝説の由来である城、神社、遺跡が残っている。

※画像はイメージです。

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