日本の伝統芸能・能。木彫りの能面を被って舞い踊る姿には、神々しく幽玄な雰囲気が漂いますよね。
室町初期に観阿弥・世阿弥親子によって確立され、幻の猿楽師・犬王の活躍を経て後世に継承されてきた演目の中でも、神仏や死霊を主役に据えた能は「夢幻能」と言われ、一種の降霊手段として神格化されてきました。
今回は夢幻能の奥深い世界観や魅力を、能の成り立ちを交えて紹介していきたいと思います。
現在能と夢幻能の違い
能を説明する上での大前提として、「現在能」と「夢幻能」の二種に演目は分類されます。幻想的な要素が排され生者のみが登場する現在能に対し、動植物の精霊や神仏、死霊や妖怪といった霊的存在を中心に構成されるのが夢幻能。妖怪に関しては幅広く、鵺・土蜘蛛・天狗などが登場します。『道明寺』は紀州道成寺の安珍・清姫伝説にちなみ、シテ(主役)が大蛇に化けるシーンが見所。蝶や梅の精霊も人に化けてワキと交流します。
夢幻能の王道パターンとして挙げられるのが、旅の僧侶の前に謎の人物が現れ、その土地に纏わる出来事を物語るというもの。この場合シテが謎の人物、シテを立てるワキが僧侶。
僧侶に話しかけてきた人物は亡霊や神仏の化身とされ、クライマックスには正体を現し、幻想的な舞を披露します。
夢幻能の名称の由来は、「旅の僧が見た夢の出来事」として不可思議な体験が語られるから。中国の故事、『邯鄲の枕』や『胡蝶の夢』と同じパターンです。
夢幻能の特徴はシテに脚光が当たること。シテの正体が無念の最期を遂げた亡霊や元人間の妖怪だった場合、彼等は僧の法力を頼り、成仏させてほしいと願って姿を現します。現在能が生者の対話メインなのと比べ、夢幻能は死者の過去回想が中心となるのです。
世阿弥の最高傑作『井筒』は、在原寺に立ち寄った僧の一夜の体験を描いたもの。
僧が在原業平と妻を哀れに思い弔っていると、近くの里に住む女が来訪し、まるで見てきたように業平と妻の馴れ初めを語り始めました。実は彼女は業平の妻で、夫と死別後も成仏できず、辺りをさまよっていたのでした。
夜……眠りに落ちた僧の夢の中に再び女が現れ、夫の形見の衣服を纏い、幸せだった日々を回想します。
「徒なりと 名にこそ立てれ 櫻花 年に稀なる 人も待ちけり」……風に散る桜は不実と謗られる。けれど滅多に来ない貴方を待って、ここぞと綺麗に咲いているの。私が不実とおっしゃるなら貴方の方が余っ程そうよ。
その後女は井筒(井戸)を覗き、水面に映る面影に夫を偲びます。朝に目を覚ますと女は消え、草生した荒れ寺だけが残っていました。
室町時代以降に成立した夢幻能には、実在の武将が数多く登場します。戦国武将・織田信長が愛した『敦盛』は、『平家物語』巻9「敦盛最期の事」および『源平盛衰記』巻38「平家公達最後并頸掛一谷事」を下敷きに、一ノ谷の戦いで落命した平敦盛をシテに据えています。『八島』のシテは修羅道に堕ちた源義経の亡霊でした。
義経の亡霊は潮に流された自身の弓を敵陣まで追いかけ取り戻した「弓流し」の逸話を引き合いに出し、あれは武士の名誉を損なうのを恐れたからだと告白。勝利に執着し続けた結果、死後も生き死にの海山……地獄で戦い続けねばならぬ苦しみを訴えました。
夢幻能で描かれるのは古の武将の怨念だけではありません。
『女郎花』のシテは男女の亡霊。男は八幡に住んでいた小野頼風、女は彼と契りを結んだ都の者でしたが、頼風の足が遠のいたことを恨んで川に身を投げ、それを知った頼風も後を追って入水したのでした。
『敦盛』にせよ『女郎花』にせよ生前の栄華の儚さと死後の苦しみが対比されている所に、夢幻能の奥深さがありますね。
能用語の「間(あわい)」とはあの世とこの世、生者と死者の中間をさす言葉。夢幻能では特に重視される概念で、ワキはあの世とこの世を分ける人の意味合いを帯びています。
夢幻能の多くが夢オチで終わるのは、生と死の間に横たわるものとして、夢が介在しているのと無関係ではありません。故にこそ時間が一方向へ流れる現在能と違い、過去と現在を自由に行き来する演出が可能なのです。
ワキが世捨て人であることにも注目。『敦盛』のシテ・蓮生法師の正体は一ノ谷の戦いの後、出家した熊谷次郎直実。彼が嘗ての戦場跡を訪れ、自ら討った敦盛を弔うのが物語の始まり。この世とあの世どちらにも属さぬ根無し草だからこそ、本来は見えず聞こえず触れない、霊的存在と接触できたと考えれば筋が通りますね。
自ら討ち取った武将の霊を『豊公能』に召喚した豊臣秀吉
信長亡きあと天下人になった豊臣秀吉もまた、熱狂的な能の愛好者でした。そんな彼が自身の覇業の集大成に作らせたのが『豊公能』。もともとは十番揃った能ですが、現存しているのは『吉野詣』『高野参詣』『明智討』『柴田』『北條』の五番だけ。このうち『明智討』を除く四番全てに神仏の化身か亡霊が出てきます。
まずは『吉野詣』にて蔵王権現の化身が降臨し、秀吉の治世を寿ぎます。『高野参詣』では三回忌に帰ってきた母の霊に親孝行を褒められ、『柴田』では柴田勝頼の、『北條』では北条氏政の霊と邂逅を果たしました。柴田勝家は賤ケ岳の戦いで秀吉に討たれ、北條氏政は小田原攻めの折に自害に追い込まれています。
直接間接問わず手に掛けた敵の霊を自分を称える能に出すとは、鬼畜な発想に呆れてしまいますね。それとも秀吉なりの鎮魂だったのでしょうか?
能の頂点にして原点 幻の演目『翁』
数ある夢幻能の中で最も謎めいているのが、「能にして能にあらず」と語り継がれる『翁』。全ての能の原点とされ、他の演目とは別格の神性を帯びています。
能の演目は大きく五種類に分けられ、種類によって演じる順番が決まっています。これを五番立と言います。順番は「神男女狂鬼」(シンナンニョキョウキ)となり、一番目は神様が主役の脇能物(わきのうもの)、二番目は男が主役の修羅物(しゅらもの)、三番目は女が主役の鬘物(かずらもの)、四番目は狂人が主役の狂物(くるいもの)、五番目は鬼が主役の切能物(きりのうもの)。
それぞれ売りにする要素が異なり、脇能物では神仏の御加護や御利益、修羅物は武者の雄々しさや負け戦の無念、葛物は女の妖艶さや悲恋、狂物は狂気にかぶれた人の恐ろしさ、切能物では鬼退治のアクションが客を沸かせます。他の四種に属さぬ演目が入れられることもあり、狂物は雑物とも呼ばれていました。
『翁』は一番最初に掛けられる演目で、神に五穀豊穣を祈り、日々の恵みに感謝を捧げる内容になっています。別名『式三番』とも呼ばれ、正月や祝祭などのハレの日に、全ての演目に先立って上演されるしきたりでした。儀式的な性格が強く、舞い手は身を清めなければいけません。翁面を被った神々が厳かに舞い踊る様は、『夢幻能』の頂点と言っても過言ではない霊圧と神格を放っています。
能の発祥地が今熊野こと熊野神社である史実を踏まえれば、能もまた神楽と同じく、神への奉納舞として崇められてきた経緯は想像に難くありません。
彼岸を此岸に引き寄せる夢幻能の本質
夢幻能の第一人者・世阿弥は、自著『風姿花伝』に「秘すれば花なり 秘せずば花なるべからず」と書き記しました。これは芸を披露する時機や隠しておくことの大切さを説いたもので、浮かばれぬ死者が素性を伏せて生者と対峙する、夢幻能の精神にも通じています。
前半では正体を隠しているからこそ、後半の名乗りがもたらす衝撃や感動が生きてくるのです。皆さんも機会があればぜひ生舞台を鑑賞してください、新しい世界が開けますよ。
※画像はイメージです。
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