「紫鏡」は日本で語り継がれる古典的な都市伝説の一つです。
数々の都市伝説が風化していく中で、長い間記憶に残り続けているのは、人々の心を揺さぶる何らかの要素が隠されているからでしょう。
では「紫鏡」とはいったい何なのか?
概要から呪いの対処法、さらには背景に隠された、ほんとうの意味について解説していきます。
「紫鏡」とはどういったもの?
確かではありませんが、「紫鏡」は1960年代頃に発祥し、主に1990年代に子供たちの間で広く流行した都市伝説だと言われています。
この都市伝説にはさまざまなバリエーションが存在し、「紫の鏡」や「パープルミラー」と呼ばれることもあり、なにかしら聞いたことがあるという方も少なくないでしょう。
「紫鏡」の内容は非常にシンプルです。
「ムラサキカガミ」という言葉を20歳まで覚えていると「呪われる」というもの。
呪いの効果としては、ただ「不幸になる」という曖昧なものから、「結婚できない」や「死んでしまう」といった恐ろしいものまであります。
起源についてはいくつかの説があるのですが、以下の二つが一般的で広く知られています。
- 病気で亡くなった少女の怨念が宿る紫色の鏡
- 成人式直前に交通事故で亡くなった女性が所持していた紫色の手鏡
つまりは、怨念や呪いがこもった「鏡」なのですが、はたしてそれだけなのでしょうか?
「紫鏡」の対処法
「紫鏡」という言葉を覚えているだけで呪われる、その話が事実かどうかは重要ではありません。
この都市伝説の本当の恐怖は、何気なく心に残ったその言葉が、時間とともに頭の奥深くに刻み込まれ、忘れたくても忘れられないという点にあります。
「もしかしたら呪いが本当だったらどうしよう」という不安は、じわじわと心の隙間に入り込み、次第に大きな恐怖となって迫ってくる。
誕生日が近づくたびに「紫鏡」という言葉が脳裏に浮かび、眠れない夜を過ごす人もいるでしょう。
呪いは目に見えない形で進行すると言われ、小さな不運が続くたびに「これは紫鏡の呪いのせいかもしれない」と考え始めると、日常の何気ない出来事すら不吉に思えるようになります。
その「不安の連鎖」が人の心をじわじわと追い詰めるのです。
呪いの真偽はともかく、恐怖そのものが現実となり、心を支配していくのです。
では、どうすればこの呪いから逃れることができるのか、代表的な対処法を挙げます。
忘れる
「20歳まで覚えている」という条件が呪いの発動要因とすれば、言葉を忘れることが最善の方法です。
しかし、人間という生き物は「忘れよう」と意識すればするほど、逆にその言葉が頭にこびりついてしまうもの。
特に、「忘れなければ呪われる」というプレッシャーがかかれば、おそらく脳はその言葉を危険なものとして認識して、しっかりと焼き付けてしまいます。
例えば「紫鏡を忘れなければならない」と何度も自分に言い聞かせる行為そのものが、逆説的に呪いの言葉を強化する結果を招くでしょう。
日常生活の中のふとした瞬間に「忘れないといけない」という焦りが頭をよぎり、気づけばその言葉が心の中で何度も繰り返される。その結果、20歳までどころか一生涯「紫鏡」の呪いから逃れられないという心理的な悪循環に陥るのです。
もうどうにもならないと思うでしょうが、「忘れる」以外にも方法があるのです。
呪いを打ち消す言葉
呪いに対抗する手段として、「水野温斗」という言葉が知られています。
この言葉を唱えることで呪いが解除されるとされていますが、問題はその正しい読み方がはっきりと伝わっていないことにあります。
言霊による効果があるとすれば正しい読み方が必要ですが、いくら調べても正しい「読み方」を見つけることは出来ませんでした。
単純に「みずのおんと」と読むことが推測されますが、実際に効果が発揮されたのかも不明です。
また「水野温斗」以外にも「白い水晶」「ホワイトパワー」「水色の鏡」「ピンクの鏡」「永遠に輝く金色の鏡」など、呪いを打ち消すとされるさまざまな言葉が伝えられています。
ここで注目すべき点は、これらの「呪いを打ち消す」とされる言葉の多くに「色」が含まれていることです。これは偶然ではなく、風水や色彩が持つ浄化作用に深く関係していると考えられます。
「色」が単に呪いを打ち消すだけでなく、さらなるプラス効果をもたらすとされている点に注目すべきです。
「紫鏡」の紫と鏡
「紫鏡」の正体に迫るには、単なる言葉遊びや噂話では説明しきれない、もっと深い意味が隠されているように思えます。鍵を握るのは「紫」と「鏡」という2つのキーワードだと思います。
この組み合わせが、なぜ恐怖を引き起こすのかを、それぞれの要素に分けて考えてみましょう。
「紫」の意味
「紫鏡」の「紫」は古くから日本において特別な意味を持つ色でした。
飛鳥時代には宮廷や仏教において最上位を象徴する高貴な色とされ、現代においても尊ばれています。
一方で、「紫」はミステリアスで神秘的な色として知られるだけでなく、不安定さや孤独、さらにはネガティブなイメージをも内包しています。
その理由に「紫」とハンセン病を結びつけられているというのです。
ハンセン病はらい菌による慢性の感染症で、かつては「呪い」や「前世の業」が原因とされ、患者は差別を受けていました。病気の進行により皮膚に紫がかった斑点が現れることがあり、この外見的変化が「紫」に対する不吉なイメージを助長した可能性があります。
さらに不治の病と考えられていたことから、「病=死」に対する強い恐怖感が複合的に結びつき、「紫鏡」の起源に影響を与えたと考える説があります。
「鏡」の意味
次に「鏡」について考えてみました。
日本に限らず、鏡は古来から神聖視されると同時に、不気味で恐ろしい存在ともされてきました。
鏡をご神体とする信仰は珍しくなく、「合わせ鏡」にまつわる恐ろしい伝説も語り継がれています。また、「鏡の国のアリス」にも描かれているように、ときには鏡が異世界への入口としてのイメージがあります。
鏡の向こう側は、現実世界と同じように見えてどこか異なる世界。
合わせ鏡をすると、どこまでも果てしなく続く鏡の世界が現れ、この無限に続く反射の光景には、不気味さと神秘性が漂っています。
現代でも、夜に鏡を覗き込むことに漠然とした恐怖を覚える人は少なくないように、古代の人々は、鏡の特性に神秘性や畏怖を感じたのでしょう。
得体のしれない怖さ
「紫鏡」は、「紫」と「鏡」という2つの要素が融合して生まれた怪異だと主張します。
どちらも神秘性とミステリアスを象徴し、具体的な怪異の実体を持たないために、想像力から強迫観念を刺激して得体の知れない恐怖を引き起こす。
「紫鏡」の本当の恐ろしさは、「死ぬ」「不幸になる」といった直接的な言葉の力にとどまりません。その背後に潜む、正体不明の不安感、これこそが人々の心を捉え、さらに恐怖を増幅させる真の理由です。
そして呪の根本には、道教の思想と陰陽五行が関わっていると言われ、紫に染めた鏡は死者を黄泉へと導く道具であり、鏡を覗き込んだ者を黄泉の世界に引き込むという。
一方で、呪いを打ち消す言葉の中にある「白」の存在にも注目すべき。風水では「白」は浄化の象徴とされ、古来から邪悪なものを払い清める力を持つと信じられています。
結論として「紫鏡」は単なる偶然の産物ではなく、古代からの宗教的象徴、文化的背景、さらには人間の本能的な恐怖心が複雑に絡み合い、生み出されたものなのだと思うのです。
「紫鏡」は本当に起こるのか?
「その言葉を覚えたまま20歳になると死ぬ」というのは、なんとも強烈です。
とうに20歳を超えた筆者からすると「よくある話だなぁ」と感じてしまいますが、幼い頃の私もそうだったように、子供にとっては酷く恐ろしい「呪い」となる文言でした。
でも結論から言えば、子供が「紫鏡」という言葉を覚えていたからといって死ぬことはありません。
筆者は小学生のときに、この都市伝説を知って覚えていましたが、20年以上たった今も生きて、この記事を書いているのが何よりの証拠。
しかし「不幸になる」という観点で考えると、あながち嘘とは言えないかもしれません。
「不幸になる」という言葉は気持ちのよいものではなく、聞いた人を不快な気分にさせるものです。規模は小さいものの、不快な気分になるということは不幸と表現してもおかしくない。
ちなみにですが「結婚できない」に関しては、ノーコメントです。
いずにしても「紫鏡」という言葉を20歳まで覚えていたからといって死ぬことはありませんので、安心してください。
人間の本能的恐怖をあおる「紫鏡」
「紫鏡」という都市伝説を解説してきました。
都市伝説には「鹿島さん」や「テケテケ」などのように、語られる物語や怪異が恐ろしいものが少なくないでしょう。
しかし「紫鏡」の怖さは、得体の知れなさと時限爆弾のような呪いにあるのでしょう。
人間にとって将来は未知数です。生きていれば何がおこるか誰も分かりません。
それに20歳といえば人生の節目でもあります。
「紫鏡」は人々の未来に向け呪いを放ち、本能的恐怖に訴えかけるのです。
それは私たちの心の奥底に潜む未知への恐れを映し出す「鏡」なのかもしれません。
※画像はイメージです。
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