本物の死体標本を有料で一般公開して話題を呼んだ「人体の不思議展」を覚えているだろうか。
日本では「人体の不思議展」「新・人体の不思議展」などと名称を変えながら2011年まで全国各地で巡回展示され、900万人を超える動員を記録した。興行としては成功をおさめたといえるだろう。
しかしその実体は、教育や学術の名を借りた死体ビジネスにすぎなかった。
死体は見せものか。
人体をカネに変えてよいのか。
展示された標本は誰なのか。
営利目的に利用され、衆目にさらされることに本人や遺族は同意していたのか。
標本はどこで、どのように作製されたのか。
実際に来場して違和感を感じたり、いたたまれない思いをした人は多かったことだろう。しかし、一般市民がいくら疑念を抱いたところで、その波が大きくなるはずもなかった。本展の後援者・協賛者には、新聞社、テレビ局、日本医学会、教育委員会、大学などの名だたる団体が名を連ねていたのだから。こうした後ろ盾による「信用」や「お墨付き」が集客を後押ししたことは想像にかたくない。
1998年には、このイベントのさらなる闇を感じさせる事件も起きた。
中国の人気女子アナがある日突然姿を消し、6年後に思わぬ場所で本人とみられる人物が発見されたのだが、その思わぬ場所こそ「人体の不思議展」だったのだ。
張偉傑失踪事件
張偉傑(チャン・ウェイジェ)は中国遼寧省大連市にある大連テレビのアナウンサーだった。大連市は遼東半島の最南部に位置し、華北・華東地域と世界を結ぶ海の玄関口である。
90年代初頭に大連テレビ局に就職するまでの彼女の経歴については情報が乏しく、北京の名門である精華大学を卒業してラジオ番組のパーソナリティーをしていたということしか確認できない。
容貌は、妖艶な美女というよりはボーイッシュで理知的な印象をうける。アナウンサーという職業柄、ヴィジュアルも戦略的に自己プロデュースしていたのだろう。友人いわく、背が高く、モデルのようにスタイルがよかったということだ。
彼女は高視聴率番組の司会者やキャスターとしてたいへんな人気を博していたが、私生活では黒い噂もあった。その噂とは、当時の大連市長・薄熙来(ボー・シーライ)と愛人関係にあるというもの。
薄熙来は中国共産党最高指導部入りを有望視される大物政治家で、国務院副総理をつとめた薄一波(ボー・イーボー)を父にもつ。80年代より大連市のさまざまな役職を歴任し、1993年に市長に就任。在任中は日本企業など外資を誘致して地元経済を発展させるなど、辣腕ぶりを発揮した。
政治家と人気アナウンサー。ふたりが出会うチャンスは十分にあったと思われるが、一説によれば、彼女は大連にくる前から愛人として囲われており、薄熙来のコネによってテレビ局のアナウンサー職に抜擢されたともいわれる。
そんなある日、張偉傑の妊娠が発覚する。すると、彼女はこれを隠すどころか周囲に吹聴してまわり、「あの人は妻と離婚してきみと結婚すると約束した」などと触れまわって、自分こそ薄熙来の妻にふさわしいと宣言するようになった。子どもを身ごもったことで気を強くしたのだろう。
しかし、不倫の代償は高くついた。ここで登場するのが、薄熙来の二人めの妻で弁護士の谷開来(クー・カイライ)である。激怒した谷は地元紙を利用して夫のスキャンダルを暴露する。市長と美人アナウンサーの醜聞はたちまち世間の知るところとなった。
さらに、弁護士である彼女は公安当局に働きかけて、愛人をテレビ局から追放するよう夫に圧力をかける。ここでようやく危機感を覚えた張偉傑は必死に許しを乞うが、時すでに遅し。辞職に追い込まれたあとは精神のバランスを崩していき、市庁前で泣き叫んでは警察官に連行されるという騒動を三度起こしている。
そして1998年、彼女は突如として消えた。
以下は真相を知ると語る人物からの情報になるが、騒ぎを起こす愛人に辟易した薄熙来が手を回し、彼女を市内のホテルに軟禁したのだという。以降の安否は、もちろん不明である。
失踪当時、彼女は8か月の身重だった。不義の子が生まれるとなれば、薄熙来としては大連においておくわけにはいかないだろう。自身の政治生命と愛人を天秤にかけたというところか。
そして失踪から数年がすぎたころ、恐ろしい噂が流れはじめる。2004年の「人体の不思議展」で展示された妊婦標本が彼女と酷似していたのだ。
「人体の不思議展」とは
「人体の不思議展」は、プラスティネーションという技術で作製された人体標本の商業展示会である。 プラスティネーションとは、人体組織に含まれる水分や脂質をシリコンなどの合成樹脂に置き換えて加工する革新的な製法で、ドイツの解剖学者グンター・フォン・ハーゲンスによって開発された。プラスティネーション処理された標本は半永久的に常温保存でき、臭いもなく、また表面が乾燥しているので直接手で触ることができる。
ハーゲンスは1993年にIfP(プラスティネーション協会)を立ち上げて、世界各地で死体標本の展示会を開催するようになった。
日本では1995年9月に「人体の世界」と題して初めて開かれ、翌1996年から1999年にかけては「人体の不思議展」と名称を変えて各都市を巡回したのち、いったん打ち切られた。終了した理由は、収益の配分をめぐってハーゲンスと日本側主催者のあいだでトラブルが生じたからだ。
この期間に開催された、いわば初期の「人体の不思議展」の標本はハーゲンスによって作製されたドイツ製であり、巡回展示が終わると同時にすべてハーゲンスに返却されている。
ともあれ、この初期「人体の不思議展」、つまりIfPと共同開催した展示会はアカデミックだと評する声もあり、一定の評価を得ることができた。この時点では問題が表面化せずにすんでいたというわけだ。
だが、このままでは終わらなかった。2002年からは主催団体を変えて、怪しげな中国製標本を用いた新しい「人体の不思議展」が再開されることになる。旧展の成功を受けて、「本物の人体標本」にビジネス勝機を見いだした人物が日本にいたことはまちがいない。
では、新たな「人体の不思議展」の標本入手ルートはどこだったのか。
ハーゲンスは1999年に大連市に死体加工工場を建設し、標本を量産して、世界各地の展示会に供給するようになった。中国を選んだ理由について、彼はニューヨーク・タイムズにこう答えている。
「中国では本人や家族の同意がいらない新鮮な人体が大量に入手でき、人件費も安く、現地政府のサポートも得られるから、死体の加工処理の法的責任を問われる心配がないんだよ。それに、引き取り手のない中国人の死体を用いることはまったく問題ないと聞いている」
「同意がいらない新鮮な人体」? 「現地政府のサポート」? よくもまあ、物騒なことをあっけらかんと。さすがは「死のドクター」の異名をとるだけのことはある。
が、ここでようやく「人体の不思議展」と張偉傑失踪事件がつながってくる。当時の大連市長は薄熙来。「さては薄さん、イッチョカミしてるんじゃ?」という妄想は、残念なことに、のちにシャレにならないほど現実味をおびてくる。
まもなくハーゲンスの工場で働いていた中国人スタッフによって新たな団体が設立され、別の死体工場もつくられた。日本で再開された「人体の不思議展」の標本は、この工場から購入した中国製だったのだ。中国人による標本技術は、プラスティネーションの特許権を侵害しているとの抗議を受けて、主催者はプラストミックという用語を使用せざるをえなくなる。つまりはプラスティネーションのパクリである。
「人体の不思議展」の問題点
展示会では、全身標本は皮膚をはぎ取られ、筋肉をむきだしにした状態でさまざまなポーズをとらされる。臓器がよく見えるように胸腹部が大きく開かれたものもある。妊婦標本にいたっては、妊娠月数ごとに10体展示するというご丁寧さである。「子宮のなかで胎児が発育するようすをどうぞごらんください」という教育的意義はひとまず置くとして、妊娠1か月から臨月までの妊婦の献体をこれほど都合よくそろえられるものだろうか。
人体の構造を学ぶためのプロジェクトなら、それにふさわしい展示のしかたをするべきだと思うのだが、なかには胸や肩の筋肉を薄く削いで広げて、エリマキトカゲのような姿にされるといった悪趣味な標本もめずらしくなかった。エリマキトカゲ人間を見て、人体をどう学習することができるのか、合理的な説明もない。
死体を金儲けの道具として扱うことで、死者の尊厳を冒涜しているという非難の声もあがった。標本の由来についても不透明な部分が多かった。「献体は生前の意思にもとづいて提供されたもの」と主催者はうたっており、献体同意書が添えられた標本もなかにはあったが、その内容はあくまで医学研究を目的とするものであって、展示商品になることまで意思確認していたとは思えない。
「人体の不思議展に疑問を持つ会」が標本の身元情報の開示を求めても主催者は拒否するばかりで、最後まで開示しなかった。つまり、正式な手続きをふんだ正当な献体であることを主催者側は証明できなかったのだ。DNA鑑定の要請にも中国政府は応じていない。
入場料を徴収したり、キーホルダーなどのグッズを販売したりすることが営利目的でなくてなんなのだろうか。
そもそも日本では、移植用臓器を含む遺体の有償提供は現行法によって禁止されている。その目的が研究であろうと、教育であろうと、治療であろうと、人体は無償で提供される。日本人の献体を展示商品にすることも日本では不可能である。
しかし同展の標本は、すべて国内法の適用を受けない外国由来のものだった。つまり、日本の法律と外国の法律の間隙をぬって開催されたことになる。
初期のころは一定の評価を得ていた展示会ではあったが、以上のように生命倫理上の問題があまりにも多いことから、開催中止を求める運動が世界中で起こりはじめた。日本では2011年1月の京都展を最後に中止に追い込まれ、翌2012年3月に閉幕を宣言している。
妊婦標本が張偉傑だといわれた根拠
話を張偉傑失踪事件にもどそう。
問題の「妊婦と胎児」は2004年の展示作品で、胎児が子宮にいる8か月の妊婦の標本である。出所については「公安局」という説明があった。なぜこのような妊婦の遺体を遺族ではなく公安当局が管理していたのだろう、という疑問がまず浮かぶ。
彼女はまるでビーチにでもいるかのように横向きにゆったりと寝そべり、右ひじをついて身体を支えるようなポーズをとっている。腹部は開かれ、子宮のなかの胎児が見える。
この妊婦は張偉傑ではないか。そんな疑惑が浮上したのには、それなりの理由があった。
顔立ちや体つきがよく似ていたこと。
身長や足のサイズが同じだったこと。
失踪当時、妊娠8か月であったこと。
大連市の死体加工場建設を認可したのが、ほかでもない薄熙来であったこと。
工場の責任者の一人が妻の谷開来であったこと。
中国が臓器輸出大国であり、非人道的な臓器狩りが行われていることはたびたび告発されてきた。この国の臓器移植ビジネスは、権力をもつ高官の関与がなければ成り立たないこともわかっている。より収益性の高い人体標本ビジネスともなれば、なおさらのことだろう。
2012年には、薄熙来と谷開来が公安や刑務所と連携して、収監中の受刑者を死体加工工場に売っていたとメディアが報じた。「人体の不思議展」の標本には、刑死もしくは拷問死した中国の囚人が多分に含まれているという。薄熙来が認可した工場の周辺には、さながら人体バンクのように刑務所や強制収容所が存在し、政治犯や死刑囚が収監されていたのだ。銃痕や頭部外傷のある標本も確認されていることから、事件性も疑われるようになった。
2014年には、谷開来が運営する工場で死体加工を担当していた男性が生々しい内部事情を報道番組で告白した。工場には一度にコンテナトラック数台分の死体が搬送されていたという。
自国のメディアですら、「わが国は世界最大の人体標本輸出国になった」と報じるのだから、あきれ返ってものが言えない。
もちろん、くだんの妊婦標本が張偉傑本人かどうかはわからない。彼女はすでに死亡しているとの見方が強いなか、海外で生きているのではないかという希望的観測もある。
しかし、大連市のトップとその妻が彼女を密かに殺害し、みずからの息のかかった工場に搬送して、標本に加工させた可能性は十分にある。ふたりはそれを隠蔽することもできたはずだ。
後日談
その後、妊婦標本がどうなったのかは一切の情報がないため不明である。
薄熙来は最高指導部入りを有力視されつつも、汚職・職権乱用・女性スキャンダルなどにより公職を追放され、2013年には裁判で無期懲役の判決を受けた。女性関係が派手で、女優や歌手、テレビアナウンサーなど「誰もが知っている有名人」ら100人以上の女性と関係しており、「酒池肉林の毎日だった」と中国では報じられている。援交疑惑が浮上した女性のなかには国際派女優のチャン・ツィイーもいた。
ということは、彼にとって張偉傑はあくまで愛人のひとりであり、妻と離婚して結婚するほどの存在ではなかったのだろう。妻の谷開来にしてみれば、夫の女遊びには目をつぶるけれど、本妻気どりは許せないという心境だったのかもしれない。
その谷開来も現在は服役中である。薄ファミリーが不正蓄財した資産のマネーロンダリングを手伝っていたイギリス人実業家を殺害した罪で、執行猶予つきの死刑判決が下されたのだ(のちに無期懲役に減刑)。
日本で開かれた「人体の不思議展」に標本を提供していた死体加工工場は、これら一連の騒動と前後して封鎖された。
人の尊厳は生きているあいだだけでなく、死後もつづく。わたしたちは死者を路傍に打ち捨てたり、足蹴にしたりすることなく、つねに礼意をもって扱ってきた。戦争、飢饉、疫病、災害などの惨禍は別として。
死体の損壊や墳墓の発掘は罪であるのに、死体に加工を施して展覧に供することは罪ではないのだろうか。「人体の不思議展」の標本は、古代のミイラやエンバーミングとは本質的に性格が異なる。
「これはおかしい」と最初に声をあげてくれた人をありがたく思う。
思った事を何でも!ネガティブOK!