皆さんは、長門型戦艦陸奥の謎をご存知だろうか?
戦艦陸奥の生い立ち
長門型戦艦2番艦の陸奥は、八八艦隊計画で生まれた。起工は1918年6月1日。
進水は1920年5月31日。就役は1921年10月24日 (もしくは11月22日)である。
1番艦の長門と共に、「世界のビック7」と呼ばれ、当時の日本の誇りであった。
戦艦陸奥の生涯
陸奥は、第二次世界大戦中は他の戦艦(長門、伊勢、日向、扶桑、山城)と同様に戦力温存され、後方待機が多かった。
ちなみに、戦艦大和と戦艦武蔵はまだこの頃は完成されていない。戦場に駆り出されたとしても、後方にいることが多く、砲を撃つことがなかった。
日本の空母機動部隊が壊滅的な被害を受けたミッドウェー海戦や、1942年の第二次ソロモン海戦にも参加したが、アメリカ軍との戦闘はせずに終わっている。
戦艦陸奥の最期
そのような艦歴の陸奥だが、最期が悲惨過ぎた。1943年6月8日。柱島泊地に停泊していた陸奥は、突然の原因不明の爆発により沈没してしまった。第三砲塔付近で爆発があり、死者は約1000人。
生き残った人たちには、厳重な箝口令が敷かれたと言う。また、国民には戦後になるまで陸奥爆沈の事実を知らせなかった。
爆沈の謎
衝撃的な最後を迎えた戦艦陸奥だが、いまだに爆発の原因は分かっていない。
三式弾の自然発火や、スパイの仕業、艦内のいじめによる自殺の放火など様々な理由が噂されている。しかし、なかにはオカルトめいたものも。ある一人の兵士の話によると、陸奥爆沈の前日の夜に第三砲塔付近の上で、長い髪の女が踊っていたらしい。
それが原因だとする噂もまことしやかに流れているとかいないとか…。
真実はいまだに闇の中である。
icon image: 作者 Not stated [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由
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