腰が引けていた南雲艦隊司令長官

真珠湾攻撃・・・・敵空母を逃し、膨大な量の艦船用燃料が貯蔵されているタンクをそのままに、南雲司令長官はなぜ第二撃を敢行せず帰投したのでしょうか。

当然の判断

■南雲忠一See page for author / Public domain

命令では、第一攻撃目標は戦艦で、空母は第二目標となっており、 航空基地の破壊は下命されていましたが、 燃料タンクや工廠など湾口施設は全く触れていませんでした。
その上、空襲終了後の高速避退と次の作戦のために帰投することは明記されていました。

また源田實参謀の手記にも、荒れ模様の海上での攻撃機の収容と再発艦は危険過ぎたとあります。
さらには山本五十六連合艦隊司令長官も、現場の指揮官の判断に任せようと再攻撃命令は発しませんでした。
これは夜間から早朝にかけての空襲には無理があると判断したためとも伝わります。

敵空母群が無傷で近海に存在する状況も考慮するなら、帰投は至極当然の判断だと言わざるを得ません。

乾坤一擲の作戦

常識外れともいえるこの作戦を、 周囲のほとんど全てからの反対を押し切って山本五十六が強行したのは、 この一戦を講和の糸口にするという戦略故でした。
航空戦が主戦法になるとしていた彼が、第一目標を空母ではなく戦艦にしたのも、当 時の米上層部に与えるショックが大きいのは戦艦への打撃だと考えたからです。

だから真意としては、山本は自軍空母の損失を顧みずにでも米空母を叩きたかったはずです。
さらには、海軍省時代にタッグを組んでいた米内光政を連合艦隊司令長官に据えて、 彼自身が攻撃艦隊司令として陣頭指揮を執りたかった形跡があります。
しかし海軍という巨大組織ではそれら人事は山本の思惑通りにはならず、 南雲中将が艦隊司令に任じられました。

水雷屋

周知のように、南雲中将は水雷戦の第一人者で航空戦は門外漢でした。

ですから完全に航空作戦となるこの作戦には全く否定的で、 機動部隊出撃後に至っても日下参謀長に
「エライことを引き受けてしまった。きっぱり断ればよかった」
と弱音と漏らしていたといいます。

彼の不安は航空戦を知らないところにあります。
しかし航空戦は、艦船によるものとは比較にならないほど射程が伸びた水雷戦と見ることができます。

違いは肉眼で敵を視認できないことで、
眼前の敵に対し肉を切らして骨を断つといった激しい攻防を行ってきた水雷屋の南雲にとっては、 ある意味では恐怖心が少なく戦い易い戦法だった筈です。
しかし南雲はそう前向きに捉えることができませんでした。

出撃後の弱音やこの硬直した思考などは、彼の根本的性格に起因しているといえます。
即ち十分な戦果を得た以上、自軍被害の危険を冒してまで第二撃を敢行することなど、 南雲中将に望むべくもありません。

簡単に言うなら、
「不可能だと思っていたのに思いがけず成功したのだから十分。
この上、深追いして損害を受けたら大変だし、さっさと帰ろう。命令でもそうなっているし」
となるのは当然でしょう。最初から腰が引けているのですから。

責任を負うべきは、乾坤一擲の作戦の意図を明確に伝え得ない命令を発した、 連合艦隊司令長官としての山本自身なのかもしれません。


歴史大好きじいさん
歴史大好きじいさんです。
戦は人がやるもの。だからその精神状態で戦の行方は大きく左右されます

参照: 真珠湾の暁 佐藤大輔著

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