冬である。
当方、札幌住まいのため、雪景色は日常である。
雪で寒いとなれば、南極だろう。
そして南極と言えば「南極1号」、完璧な三段論法だ。
南極1号は、昭和期におけるラブドール(当時はダッチワイフ)の代名詞ともなった存在である。
この南極1号嬢は、不遇な運命を辿ったドールとして知られる。
だが、自分はこの伝説に少々引っかかる部分、すなわち、何らかの意図めいた陰謀を感じるのである。
「南極1号」伝説
いわゆる「南極1号」は、1957年の第一次南極地域観測隊の越冬隊に配備されたとされる、性処理専用ラブドールである。
「いわゆる」と付けたのは、「南極1号」というのが、後年の呼び名だからである。
南極観測は、国際地球観測年の事業として1951年に提案された事業の1つである。この時点で連合国軍占領下にあった日本は、国際的地位を認めさせたいという思惑もあり、参加表明したのだった。
これは、国家の威信や誇りといった、ふわっとしたお題目ではない。
前年には、朝鮮戦争が勃発し、1つの国が引き裂かれ、殺し合っている。
ここで、日本が近代国家に値しないと判断されれば、分割統治による植民地化も絵空事ではない。まさに日本の存亡、国民の生命・安全を賭けた、失敗は決して許されない事業だった。
南極は、冬期は完全に孤立し、太陽も出なくなる。
終わらぬ夜は精神を疲弊させる。どれだけ高性能の機械を用意しても、人が壊れては観測も何もない。
隊員のメンタルの健康維持は、最重要とされた。
様々な角度からリスクを想定する中で、隊員の性欲の解消も問題と考えられた。任務に堪える壮健さは、性欲の旺盛さにも繋がり得る。越冬隊に参加予定の中野征紀医師の発案で、ラブドール(当時はダッチワイフ)の導入が決定された(異説もある)。
当時は、薬事法の関係もあり、市販品として入手出来るドールはなかったため、浅草橋の人形問屋に製作が依頼された。
1体5万円の人形が2体作成され、うち1体が観測船「宗谷」に残され、1体が実際に基地に持ち込まれたという。
1957年、昭和基地建設後、裏手に作られたイグルーに人形は設置された。
「建物内部に置くと風紀が乱れる」というのが、屋外設置の理由である。
だが、イグルーの中は氷点下15度の寒さだ。その上、保温のため湯を入れるなど、使う準備も後片付けも手間が多い。何より見た目が異様、すなわち「愚息もションボリ」であり、実際に使う者はいなかったという。
宗谷に残されたもう1体については、誰かがこっそり使った後、洗いもせず放置したせいで局部が腐り、(恐らく海に)廃棄されたという。
その後、マスコミがこの情報を掴み、いくつかの呼び名を経て、「南極1号」の名前が定着した。
実際に日本でダッチワイフが流通し始めたのは、1960年代半ばからである。
マスコミの憶測情報も流通しているからか、幾つかの説が存在するが、
- 極秘で作られた
- 実際には使われなかった
- その後、廃棄された
というポイントは共通する。
論理矛盾を起こす伝説
この話、一見筋が通っているが、どこかに違和感はないだろうか。
具体的には以下の3点である。
- イグルーに置いたので、使えなかった
- 人形の見た目が悪いので、使わなかった
- 船に残った人形は、誰かが使い、腐ったので捨てられた
それぞれについて考えてみよう。
1.イグルーに置いたので、使えなかった
設置場所がイグルーというのは、あまりに非合理的だ。
他の隊員に知らせずに外に出て、マイナス15度の中で、肌を曝す。危険でもあるし、困難でもある。
それで「出来た」なら良い。無理だったのだから、基地内に設置場所を変える程度の発想力はある筈だ。
それでも中に置けば風紀が乱れる」
と考えて、基地内に置かなかったのだろうか?
だが、そもそもこの人形は、性的欲求も自然の生理として受け容れストレス解消し、作戦成功率を高めるためのものだった筈だ。
その共通認識がある筈なのに、風紀問題を持ち出すのは不自然だろう。
2.人形の見た目が悪いので、使わなかった
いわゆるダッチワイフに粗悪品が多かったのは事実だろう。
だがそれは、買い手に後ろめたさがあり、クレームも決まりが悪いという、圧倒的消費者不利の関係だからこそ生じた事だ。
南極1号は、崇高な目的の為の必須装備として、オーダーメイドされたものだ。
まともな職人なら、その意図をよく理解し、雑なものは作るまい。万一、志のない職人が酷いものを作ったとしても、リテイクは出せた筈だ。
本屋でエロ本と参考書を重ねて買う高校生でもあるまい。
それらの可能性をすり抜け、酷い出来の人形が納品されたとしよう。
そんなものを、リソースを消費してまで、基地に運ぶ意味がない。
運んだとしても、そこまで異様なものを、隊長が唯々諾々と受け容れて設置、とはなるまい。
万一、隊長の性癖に刺さったのだとしたら、「誰も使わなかった」事にはならない。
3.船に残った人形は、誰かが使い、腐ったので捨てられた
宗谷に残ったもう1体の運命も不自然だ。
いや、正確には、これ単体ならおかしくはない。
だが、3が成立するなら、1と2の辻褄が合わなくなってくる。
つまり、3が成立するなら、ある程度「興味をそそる」外見という事だ。汚れたのだから、「機能」も申し分なかった事になる。
従って、2の「見た目の悪さ」は成立しない。
この時、1の設置場所問題も成立しない。魅力的な人形が、設置場所のせいで使えないなら、流石に基地内に設置し直すだろう。
簡単な論理問題だ。
- 2が成立するなら、3は成立しない
- 3が成立するなら、2は成立しない
- 2が成立しない時、1は容易に解消される
互いが矛盾した関係となっている。
つまり、何かが事実と反している。
この矛盾を解消するには、どうするか。
まず、2は事実に反している可能性がある。
2’「人形は充分魅力的だった」が成立する
この時、1の条件も修正される。
2’「人形が充分魅力的だった」
1’「人形の設置場所は、イグルーでは使えないので、基地内にした」
3.「船に残った人形は、誰かが使い、腐ったので捨てられた」
これで、矛盾は解消する。
矛盾の真相
つまり事実は恐らくこうだ。
人形は、使用に耐える、完璧なものだった。そして、隊員達もこれを使い、充分満足した。
「――だが」
と、越冬後の撤収前に隊長は考える。
昭和に個人情報保護法はない。
犯罪被害者の顔写真と住所が新聞に掲載され、文通欄に本名と住所が枝番まで載る時代である。
越冬隊員は、文字通りの英雄だ。
彼らの妻や恋人へのインタビューも、実名顔出しで新聞記事、雑誌記事にされるのは間違いない。
この時のマスコミに、人形の事が知れたらどうなるか。
「人形とどちらが良いと言われましたか?」
「人形に寝取られた感想をどうぞ」
「普段、どんな体位でなさっているんですか?」
「いまのお気持ちを1つ」
「旦那さん、女房より良かったって言ってましたよ!」
BPOどころか、前身の「放送番組向上委員会」も設立される前の時代だ。
格好のスキャンダルとばかりに、「好色隊員」「倒錯英雄」「越冬の奏鳴曲」など、ベタベタレッテルを貼り、おもしろおかしく書き立てる。
リミッターのない、興味を惹く事が最優先の、虚虚入り乱れる偏向報道、「マスコミ=えらい」と無邪気に信じる思考停止した国民、合理性を欠く倫理観、町内の陰口は盛り上がり、批判の手紙、近所の監視、窓に石が投げられ、回覧板は回してくれない。
好奇の目にさらされ続けた彼ら彼女らは傷つき、最悪の結末に至る可能性も充分あり得る。
――だからこそ。
隊員達は徹底した箝口令が敷かれ、更に流出時用に、ストーリーを作ったのではあるまいか。
このストーリー通りなら、問題になるのは隊長だけだ。
隊員の心理も生理もまるで分からず、下らない事に無駄な予算を浪費し、結局隊員達個々の強さで辛うじて作戦成功させただけ。
だが、敢えてそれを受け容れ、道化を演じた。
「使わなかった」事を徹底すべく、理由を二重に付け、人形が残っていない理由も付けるうちに、矛盾も生じたのだろう。
南極1号の守護ったもの
隊長は道化となり、隊員を守り抜いた。
そして南極1号も、自らの存在を嘲笑される事をもって、隊員達の心を最後まで守り切るという任を全うし切ったのだ。
彼女もまた、慈愛と誇りに満ちた、彼らの仲間であった。困難な任務を乗り越え、今の日本を支えた英雄のひとりだったのではなかろうか。
私には、そう思えてならない。
※画像はイメージです。
思った事を何でも!ネガティブOK!