2022年2月24日にロシア軍がウクライナへの軍事侵攻を始めた事で、ロシア・ウクライナ戦争と呼称される今の戦いが始まったが、この戦争をロシアのプーチン大統領が引き越した要因のひとつがNATOの東方拡大だと言われている。
NATOとはノース・アトランティック・トリーティ・オーガニゼーションの頭文字から名付けられた名称であり、日本語では北大西洋条約機構と訳させる事が多く、2022年の現在で世界最大の軍事同盟である。
北大西洋条約機構と言う言葉が示すように、NATOはアメリカやカナダの北米及び、イギリスやフランス等の欧州の所謂西側諸国が多数加盟している軍事同盟で、アメリカを頂点とする組織と言って良いだろう。
ロシア・ウクライナ戦争の発生後には、日本でも親露派を中心にウクライナがNATO加盟を目指した事がロシアの安全保障上の大きな問題となったとする見解も多数述べられているが、多く人々の賛同は得られていない。
それどころかこうしたロシア視点でのロシア・ウクライナ戦争の発生の正当化には、行き過ぎた反米思考から従来は国粋主義的とされた右の団体から、左の元々ロシアと親和性の高い勢力までが言を一にしている。
こうした本来は交わるはずのないイデオロギーの融合が見受けられる点では、ロシア・ウクライナ戦争は非常に稀有な様相を呈してきているが、実際のNATOについて客観的な事実のみを俯瞰して見ていきたいと思う。
NATOの創設の経緯
NATOは2022年現在では北米及びヨーロッパの30か国もの国々が加盟している、世界で最大の規模と戦力を有すると言われている巨大な軍事同盟であるが、そのルーツを紐解いていくと1947年まで遡る事となる。第二次世界大戦の終結から2年後のこの1947年、先ずイギリスとフランスとがその元凶となったドイツへの牽制を行うと言う名目でダンケルク条約を締結、翌1948年にこれにベルギー・オランダ・ルクセンブルクが合流する。
1948年に締結されたその条約はブリュッセル条約と呼ばれ、第二次政界大戦でドイツにあえなく蹂躙され支配下に置かれたこれらベネルクス三国及びフランスが、イギリスと共にその惨禍を防ごうとしたものとされている。但し第二次世界大戦だけでなく、その前の第一次世界大戦でもヨーロッパ各国に甚大な被害を与えたドイツは確かに三度警戒する必要はあったものの、政治的には既に第二次世界大戦後に表面化していた旧ソ連への備えとも言われている。
これは第二次世界大戦では連合国として共にドイツと対峙したイギリスやフランスが、既に今後は旧ソ連の軍事的な脅威が課題となると見越していた故の行動であるとの見方もあり、後の冷戦構造への原型と見做すものだ。
その為、ブリュッセル条約ではあくまで加盟国の仮想敵国はドイツであると想定されていたが、翌年の1949年に締結された北大西洋条約に基づくNATOではその対象は旧ソ連である事が明確に打ち出される事となった。
1949年の北大西洋条約には、前述の5ケ国に加えてヨーロッパからデンマーク・イタリア・ポルトガル・アイスランドが、北米からアメリカとカナダが加わり、全12ケ国が参画する軍事同盟として開始されるに至った。
旧ソ連がNATOに対抗して設立した組織がワルシャワ条約機構
1949年に設立された西側諸国の北大西洋条約とそれに基づくNATOは、大元のダンケルク条約やブリュッセル条約では仮想敵国とされた当時の西ドイツを1955年にメンバーに迎え入れ、旧ソ連との対立姿勢を明確にした。この動きを受けて旧ソ連は、同じ共産主義国家として自国の影響下に置いていたブルガリア・ルーマニア・ハンガリー・ポーランド・チェコスロバキア・アルバニア、そして当時の東ドイツの8ケ国でワルシャワ条約を締結した。
このワルシャワ条約に基づく旧ソ連を盟主とした軍事同盟がワルシャワ条約機構であり、以後1991年に旧ソ連が崩壊するまでNATOに対抗する組織として存在し、東西の冷戦構造の時代に互いを激しく牽制する状態が続いた。
今の世界情勢からすると隔世の感がある冷戦時代であるが、この当時はNATOよりもワルシャワ条約機構の方が戦車を中核とする機甲戦力では凌駕している状況であり、前者のニュークリアシェアリングはその対策で始められた経緯がある。
ニュークリアシェアリングは、自国では核兵器を製造・保有していないドイツ・イタリア・オランダ・ベルギー・トルコの5ケ国が、アメリカの戦術核兵器を運用する仕組みで、昨今は日本でも議論に上る事が多い。
今の日本においては中国・北朝鮮・ロシアと言う核保有国と対峙するにあたって、これまでのアメリカ軍による所謂・核の傘を一歩進めた防衛力・抑止力の獲得を目指す一つの手段としてこれが語られ始めている。
これは近年、新型の弾道弾や巡航ミサイルの開発を進める北朝鮮に対して、その攻撃への言わば懲罰的な抑止力として、日本も戦術核兵器の保有を検討しようと言う意図に重きを置いた考え方と言えるのではないだろうか。
但しこうした考え方は、前述したようにNATOのニュークリア・シェアリングがワルシャワ条約機構の優勢な通常戦力に対抗する方策として始まった事とは、その前提が大きく異なっている事は踏まえておくべき点であろう。
NATO加盟国の変遷 ①1949年から1990年まで
NATOは1949年の創設時には12ケ国で始まった事は前述した通りだが、この加盟国が次に増加したのは1952年であり、そこで新たに加わったのがトルコとギリシャの2ケ国で、地理的に旧ソ連圏の南に位置する国々だった。
トルコとギリシャは共に旧ソ連圏からの軍事的な脅威に晒されていると言う点では共通点がありつつも、地中海のキプロス島を巡る紛争では直接対立する立場にあり、同紛争に敗れたギリシャは1974年に一度NATOから離脱している。
しかしやはりギリシャは旧ソ連圏の軍事的な脅威から6年後の1980年には再びNATOへ加盟し現在に至るが、加盟を継続していたトルコも2019年に現・ロシアから地対空ミサイル・システムのS-400を調達するなどして物議を醸した。
またスペインも1982年にNATO加盟国となったが、同国は1975年までかつてはナチス・ドイツに支援されていたフランコが政権を維持していた独裁国家であり、ようやく民主化が果たされたと西側諸国が認めた末の事だった。
更に1955年には当時の西ドイツが既にNATO加盟済であった事は前にも述べたが、1990年には旧東ドイツとの統一が行われたため、新生ドイツとして加盟国の領土が東側に拡大した事も特筆すべき出来事だと思われる。
NATO加盟国の変遷 ②1991年から現在2022年まで
旧ソ連が1991年に崩壊した後には2022年の現在に至るまで、かつてはその構成国や衛星国として支配下に置かれていた東ヨーロッパの国々が民主化されて多数の国々がNATOへの加入を果たし、名実ともに世界最大の軍事同盟となった。
その第一段階は先ず1999年であり、この年にチェコ・ハンガリー・ポーランドの3ケ国がNATOに加盟した事により、それまで旧ソ連の後継国家となっていたロシアから完全に袂を分かち、所謂NATOの東方拡大が始まったと言える。
そしてその5年後の2004年には、ブルガリア・ルーマニア・スロバキア・スロベニア、そして旧ソ連の構成国であったエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト3国の計7ケ国がNATOに加盟、揺るぎない増加を続けた。
以後も2009年にアルバニアとクロアチア、2017年にモンテネグロ、2020年に来たマケドニアがNATOに加わり、ここに加盟国数は30ケ国に達し、今はロシア・ウクライナ戦争の渦中にあるウクライナも加盟を切望している。
NATOの現状と日本
NATOはかつての旧ソ連、そしてその直接の後継国家となったロシアを最大の仮想敵国としているが、直接の介入を行った戦闘は極めて限定的であり、創設された1949年から2022年の現在まで5つの紛争のみとなっている。
それは1992年から始まったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、1998年からのコソボ紛争、2001年のマケドニア紛争、2001年からのアフガニスタン紛争、そして2011年のリビア内戦であり、ほとんどがここ20年程の内での出来事だと言える。
今や日本でもNATOの基準に準じるべきとして、対GDP比での2パーセントの軍事費の必要性が提唱されているが、NATOそのものも東方への拡大とともにその比率は下がっていたのが実体で、その軍事費の凡そ75パーセントはアメリカが負担しているとされている。
ロシア・ウクライナ戦争の生起を受けて、そうした傾向が特に顕著であったドイツも政策を一転し、軍事費の拠出の増加に向かうと目されているが、一度弛緩した軍事体制の強化は費用の増額のみでは困難が予想される。
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