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先進的過ぎたある海軍軍人の悲劇

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軍国の時代に、戦争は悪であると主張した軍人がいました。

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戦争は悪である

  • 戦争そのものは明らかに悪であり、凶であり、醜であり災いである。
  • 戦争を以って漫然と善となすが如き考え方が正義道徳の背くのみならず、ひいては容易ならざる結果を国家世界に将来せんとするもの・・
  • 海軍は所謂海防の具であって、何処までもその国にとって防御的なものであると同時に、国の格式を付けて平和発展の保障となるものである。
    従って海軍武力の行使は平和を保持する為にやむを得ざる場合に限り、これを為すべきものである故に、平和の時に於いて、国際儀礼、海外警備,居留民保護の限度を超えて之を対外的に積極政策を押し通そうとする道具に使用するが如き事あらば、それは国防の本質を越えて世界の平和を脅かすものであって、海軍本来の目的にそわぬのみならず、その如き積極政策は行き着く処、往々らちを越えて国力の範囲外に逸し、国家を危地に導くものである。
  • 軍備は平和を保証するに過不足なきが如く整備すべきである。
    (中略)小に失すれば無軍備より却って危険な事があり・・。

これらの文言を現代人が読んで、特別に奇異に感じることはほとんどないでしょう。
もちろん完全な戦備否定論者であれば、その限りではありませんが、軍事に関して多少でも知識のある人になら、
戦争、軍備、海軍力についていたって常識論だと思うはずです。

しかしこれは、軍が中国侵攻を強引に推し進め、日独伊三国同盟を目指し、対米戦争も辞さずと意気盛んだった時代に、帝国海軍の現役将官だった人の論なのです。

堀悌吉

その人物は堀悌吉海軍中将(最終階級)。
山本五十六とは海軍兵学校の同期で、親友と呼べる間柄でした。
兵学校首席という秀才で、技術系の砲術学校でもトップで卒業というまさに文武両道の逸材であり、その優秀さは軍人としての働きでも十二分に発揮され、将来の海軍大臣と目された人物でした。

「戦争は悪である」という彼の戦争観は、日露戦争での海戦で敵艦が悲惨な最期を目の当たりして、彼の中に自然と湧き起こった疑問が大きく影響したと謂われています。

彼はワシントンおよびロンドン軍縮会議に深く係わり、軍縮条約の締結に邁進しました。
彼は当時日本の情勢について、親独反英米・軍国主義に偏り世界から孤立しつつあり、海軍でもその傾向が強まっていることを憂慮していました。

軍縮案の艦船量対米6割では国防ができないと主張する軍縮反対派と、堀など賛成派の対立が海軍内部で激しくなっていたのです。経済力や産業力など国力の実際を考えず、条約の書面上の艦船トン数を実力と誤認する事は愚であると、堀は反対派を批判します。

先は海軍大臣との評判が高い堀とその論理に抗い難い賛成派は、策謀によって堀を含む条約派の将官を、次々に予備役に組み入れて排除してしまいました。
これにより海軍は戦争への道に踏み込んでいきます。

専守防衛

安倍晋三内閣の政府答弁書における専守防衛の定義では、「相手から武力攻撃を受けた時初めて防衛力を行使し、(中略)保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る」ことが国家防衛の基本方針となっています。

堀の前述の論は現代日本の専守防衛の定義に見事に当てはまります。
また軍備の過小は逆に危険の可能性があると現代の抑止論同様の考えも持っています。
堀の思想理論はそれほど先進的でした。しかい早過ぎて堀は時代からスポイルされたのです。

周囲を危険な独裁国家に囲まれ、実際に危険な情勢が増しているにも関わらず、邦人の生命を守るために海外派遣さえできない自衛隊しかない現代日本は、堀悌吉の思想理論に再注目する時にあると思います。

参照:
日本海軍の興亡 半藤一利 著
堀悌吉とその時代の海軍 影山好一郎 著

歴史大好きじいさんです。
往々にして今の常識は昔の非常識です。

featured image:Unknown photographer, Public domain, via Wikimedia Commons

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