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忍者の正体を妄想する

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忍者がドロンと消えるのは本当?
今回のお話は、忍者の正体を妄想していきます。

目次

忍者の実像

甲賀忍術書・忍術應義傳には、聖徳太子に仕えた大伴細人(おおとものほそひと)が、志能備(しのび)の称号を与えられたと記され、甲賀流忍術の祖とされている。
また13世紀後半、元々有力な寺社や公家の私有領地であった荘園が、武士の台頭などによりその所有権が複雑曖昧になって経営が不安定化する中、荘園領主に対する反抗が横行した。
その反抗勢力は「悪党」と呼ばれ、史実に残る最初の忍者だとされている。

体制側の強大な武力に対して劣勢な反体制勢力の闘争方法が、ゲリラ戦法やテロとなるのは今と同じで、奇襲攪乱戦法に長けたこの様な集団が忍者へと進化していったのだろう。
つまり忍者の実像はその土地に根を張る地侍や荘民に他ならない。

そして戦国時代に入ると、戦国大名がこの特殊技能集団を大いに活用し始める。
織田・豊臣・徳川と敵味方両方の立場で大きく関わった伊賀甲賀衆をはじめに、北条早雲の風魔一族、伊達政宗の黒脛巾組(くろはばきぐみ)、武田信玄の透波(すっぱ)、上杉謙信の軒猿(のきざる)などがある。

当時のイエズス会編纂の、日葡(にっぽ)辞書(日本語のポルトガル語訳)にも、”Xinobi”(シノビ)とは戦争の際の状況探査のため、夜などに城内や陣営内にこっそり入る間諜と説明されている。

織田から豊臣時代にかけて進められた兵農分離以前には、多くの武士が平時には農作業に従事していたように、忍者も様々な職業に就いていた。

伊賀では平時には午前中は農作業や山仕事を行い、午後から武術などを鍛錬をした。
毛利元就配下の忍者・座頭衆には琵琶法師が、武田信玄の透波の中には歩き巫女が「くノ一」衆として、また伊賀甲賀では修験道が盛んで山伏が多くいた。

いずれも他所を行き来して怪しまれ難い職業で、忍者はそれらに化けるのではなく生業としながら、戦時には情報集、攪乱、破壊などの任務に携わったのである。

忍者はドロンと消えるのか

忍者の活躍の場が減少した江戸期から、まったく存在しなくなった明治以降、
芝居、読み物、映画など娯楽メディアでしばしば取り扱われ、煙とともにドロンと消える、真田十勇士の猿飛佐助や霧隠才蔵忍者などが人気となった。
高い土塀を一足飛びに飛び越え、軽々と木々の梢を渡り、敵の背後に音もなく着地して敵を倒すのである。
まさに絵空事でようだが、現実はどうだったのだろう。

現代に目を移して周りを見渡してみる。
オリンピックの様々な競技では、出場する世界的な一流選手のパフォーマンスは人間業ではない。

近年大人気のフリークライミング。
僅かな突起を頼りに、垂直どころかオーバーハングの壁をよじ登る。
天井に張り付く忍者である。

パルクールでは、階段、壁、塀、手すり、窓、電柱などなど、街中のあらゆる建築物を飛び付き飛び越え、蹴ってはぶら下がり、宙返りし地を転がって縦横無尽に駆け回る。
超人技の忍者そのものではないか。

イルージュンで一枚の布で覆われた人ばかりか、車まで一瞬で姿を消す。まさにドロンである。
催眠術で人を思い通りに動かし、奇術手品では目の前でお札が消えて、看板のハンバーガーが実物に変化する。
幻術である。
現代人なは何かタネがあることを知っていながら、それでも不思議さに首をかしげて驚嘆する。
ましてや昔の人なら・・である。

つまり空想活劇の世界を現実世界に再現することは決して不可能ではない。
各種身体能力や才能のある者を集めて英才教育を施せば、特殊技能集団を創ることは至極現実的なのである。
かくして忍者は本当にドロンと消え失せたのではなかろうか。

参照
日本忍者協議会 忍者とは
刀剣ワールド 忍術

歴史大好き爺さんです。
伝説の影に事実有り。

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