1944年6月6日に連合国軍はフランスのノルマンディーに上陸します。
ノルマンディーに足場を固めた連合国軍はより内陸へと攻めます。
対するドイツ軍は3個の装甲師団で迎え撃つのです。
ノルマンディーの装甲師団
連合国軍がノルマンディーに上陸した時に迎え撃つ事となったドイツ軍の装甲師団は第21装甲師団とSS第12装甲師団と装甲教導師団の3個です。
第21装甲師団はフランスで1943年7月に編成された師団で戦車や突撃砲を131両装備している。
SS第12装甲師団はヒトラーの親衛隊である武装SSの師団だ。
「ヒトラーユーゲント」と言う名前も持つ。その名の通りにヒトラーユーゲント出身の少年を兵士として集めて編成された師団で戦車は141両装備していた。
装甲教導師団は戦車の教官を務める将校や下士官で編成された精鋭部隊で戦車は200両以上もある質と数で国防軍の装甲師団では最も充実していた。
この3つの装甲師団が海岸から更に攻める連合国軍と戦う事になるのです。
ノルマンディーで戦う装甲師団
ノルマンディーでまず動いたのは第21師団でした。
6月6日午後に21師団は第84軍団司令官マルクス大将の命令で英軍が上陸しているソード海岸へ向けてⅣ号戦車98両を前進させます。
しかし英軍のM10駆逐戦車や対戦車砲を置いた前線を突破できず唯一の海岸へのドイツ軍の反撃は失敗します。
SS12師団と教導師団は海岸へ兵力を移動させようにも自由に飛び回る連合国軍の航空部隊と戦艦などの艦砲射撃に阻まれ夜間の限られた時間に移動するしかありません。
それでも連合国軍の進撃をドイツ軍は食い止めます。
海岸から15km先にあるカーンを占領しようとする英軍をSS12師団が阻止します。またSS第501重戦車大隊のビットマンSS中尉がティーガーⅠ重戦車4両とⅣ号戦車1両で英軍の戦車25両などを撃破するヴィルボカージュの戦いにより英軍の進軍が鈍ります。
不利な状況でも防衛ができたのはボカージュと言う生け垣が縦横にある特異な土地であり隠れる事や待ち伏せに適していたからです。
終焉
英軍を散々に苦しめるドイツ軍装甲師団ですがドイツ軍の状況は苦しいばかりです。
制空権は相変わらず連合国軍が握り続け行動は制限され連合国軍の爆撃は前線のドイツ軍に満足な補給を得られないようにしていました。
7月9日にカーンが陥落、7月25日から米軍のコブラ作戦によりノルマンディーの前線は西から崩されます。
装甲師団は次第にファーレズ・ポケットと呼ばれる包囲網に閉じ込められ味方や自身の脱出の為に戦い壊滅状態になります。
※適切な画像資料が見つかりませんので、あくまでもイメージとなりドイツ視点での画像ではありません。
eyecatch credit:Baptiste HeschungによるPixabayからの画像
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