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北アフリカ戦線最後の戦い

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ロンメルのドイツアフリカ軍団の戦いで知られる第二次世界大戦の北アフリカ戦線
1943年の春には北アフリカ戦線は最後の戦いが始まります。

目次

アメリカ軍参戦

1942年10月のエル・アラメインの戦いでエルヴィン・ロンメルが率いるドイツ軍とイタリア軍の枢軸軍は敗北
それまでの戦いで獲得したリビアから退却し、北アフリカ戦線での主導権を枢軸軍が取り戻せなくなります。
11月8日には、アメリカ軍がモロッコとチュニジアに上陸して北アフリカ戦線に参戦します。

東のイギリス軍と戦っていたところに、北アフリカ西部に上陸したアメリカ軍は手薄な背後を突く形になった。
ドイツ軍はチュニジアへ降下猟兵部隊を急いで展開させ、チュニジアにある部隊と共に防衛線を張ってアメリカ軍とイギリス軍のチュニジアへの侵入を阻止した。
12月には増援として到着した第10装甲師団を使い反撃に出る。
ティーガーⅠ重戦車も投入されたこの攻撃でアメリカ軍は大きな損害を与えたものの、連合国軍が優位な状況は変わりません。

春風作戦

1942年12月にドイツアフリカ軍団は第5装甲軍に改編しました。
イタリア軍と合わせてアフリカ軍集団として再編成、アフリカ軍集団の司令官はロンメルが務めます。
第5装甲軍の司令官はハンス・ユルゲン・フォンアルニム上級大将になりました。
これはロンメルにドイツ軍とイタリア軍をまとめるアフリカ軍集団の指揮に専念させる為で、前線のドイツ軍の指揮はアルニムに任せられました。
こうした新体制となった北アフリカの枢軸軍でしたが、イギリス軍とアメリカ軍によってチュニジアに追い込まれている状況です。

ロンメルは反撃を試みます。
1943年1月には自由フランス軍とアメリカ軍を攻撃してチュニジアの枢軸軍橋頭保を拡大させる局地的な勝利を収めます。
そこから更にチュニジアの連合国軍への大規模な反撃を行います。それが2月14日に始まった「春風作戦」である。
ドイツ軍の2個装甲師団を中心としたこの反撃はアメリカ軍を退かせるほどで、90kmもの前進をした。
しかし、次第にドイツ軍は多くの戦車を失うなど損害を増やすばかりとなり、作戦は中止され枢軸軍は守りに入ります。

北アフリカ戦線の終わり

3月9日に、ロンメルはアフリカ軍集団の司令官を解任されます。
こうしてロンメルはアフリカから去り、戻る事はありませんでした。
ロンメルの後を継いだのはアルニムでした。

4月20日から連合国軍は総攻撃に出ます。
枢軸軍は健闘するものの、5月12日から13日のかけてアフリカ軍集団は降伏します。
ロンメルの伝説を作り上げた戦場は、ロンメルが去った後に決着がついたのです。

featured image:Lt. L. B. Davies – No 1 Army Film & Photographic Unit, Public domain, via Wikimedia Commons

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