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日本の名戦闘機は零戦だけではない!!

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大日本帝国の戦闘機といえば零戦で、ミリタリーマニアでない人でも知っています。
しかし帝国陸海軍の戦闘機は他にも多々有り、中でも陸軍の「5式戦」と呼ばれた戦闘機は零戦に負けない名機だった事は一般にはあまり知られていません。

それでは、5式戦とはどんな戦闘機だったのか?語っていきます。

目次

5式戦の誕生

■三式戦闘機の前面写真Unknown author / Public domain

空冷エンジンは構造が単純で生産しやすいのですが、前方からの空気で冷却する為に一定の前面面積が必要です。
それに対し、液冷エンジンはその必要が無い為にスリム化ができ、その分機首を細くした飛行機は空気抵抗が少なくなって高性能化が可能です。
陸軍はこの事に着目して、ライセンス生産によるドイツ・メッサーシュミットの液冷エンジンを搭載した3式戦・飛燕を開発しました。

しかし液冷エンジンについての技術が不足していた日本の工業力では、エンジン生産が手慣れた機体製造に追い付かず、エンジン待ちの機体ばかり大量に残る状況に陥りました。
その上、戦地での整備員にも液冷に対する技術不足があり、配備した3式戦の整備不良による稼働率の低下が問題になったのです。

陸軍はこの問題を解決する為に既存の空冷エンジンへの換装を決めます。
搭載する空冷エンジン形体に合わせた機種部の設計変更を急遽行って生まれたのが5式戦です。

棚からぼた餅の名機

SDASM / Public domain

生産と整備上の理由で空冷エンジンに換装されて誕生した5式戦は、 ラジエターや冷却液配管など関連部品及びそのバランス用バラストの撤去により、液冷エンジン搭載機より330㎏も軽量化されました。
そして機首と後部のこれら重量がなくなって重心が機体中央付近になった事も重なってその機動力が大幅に向上したのです。
その結果、零戦をも苦しめたF6FヘルキャットやP51マスタングに引けを取らない優秀機がほとんど偶然に生まれました。

5式戦が配備された飛行第59戦隊の搭乗員達は、「P51と対等、F6Fなら問題なし、F4Uはカモ」とこの機を評しました。
実際、第244戦隊長生野文介大尉は弾切れ状態で8機のP51に囲まれながら逃げ切ることができ、撃墜される不安が全くなかったと証言しています。

また高高度の性能向上も認められ、B29撃墜の実績がある飛行18戦隊角田大尉は、高度6~8千mでは上方からの一撃しかできなかった3式戦と比べ、5式戦ならさらに下方からの反転再攻撃が可能だったと語っていました。
実戦の戦果でも飛行第111戦隊24機が96機のP51と対戦し、5機の5式戦が撃墜され、6機のP51を撃墜と互角以上に戦い、また224戦隊の16機は1機が撃墜されたものの、F6Fヘルキャット18機の内12機撃墜の戦果を挙げています。

そして何よりも、空冷式エンジンに慣れ親しんだ整備員の整備が行き届いた事もあって、信頼性が高くて戦闘機の稼働率が上がった事が評判を押し上げました。

5式戦は名機なのに

この様に5式戦は、大戦後期においても米新鋭機と互角に戦う事ができる優秀機でした。
しかし配備が始まったのが終戦の1945年2月と遅かったのが最大の問題でした。

結局総計で400機に満たない少ない配備機数では、戦局の挽回に貢献する事はできません。
もしも、せめて半年から1年早ければ、もしかしたら戦況の悪化は抑えられたかもしれません。

結局、性能としては上でも、ゼロ戦には知名度としては叶わない隠れた名機として太平洋戦争が終結します。

eyecatch source:SDASM / Public domain

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