この話は私が小学生の頃、夏休みにほぼ毎日おばあちゃんの家に遊びに行っていたときに聞いた話です。
夏休み期間中に終戦の日があるため、関連するニュースがたくさん流れます。
その度におばあちゃんは「戦争は絶対にいけないことだよ」と繰り返し教えてくれ、おばあちゃんの真剣な表情を見て戦争は怖いことだと理解するとともに、「なぜ戦争が起こってしまったんだろう」と歴史に興味を持つきっかけになりました。
おばあちゃんは静岡県の農家の家出身で、第二次世界大戦の終戦の一年前に産まれました。
戦時も生活は厳しかったそうですが、戦後の方がさらに生活が苦しかったそうです。
それでも農家である祖母の家は食物を育てていたので、おやつにさつまいもを蒸して食べたり、庭や畑に育つみかん等の柑橘類や枇杷、無花果を遊んでいる途中に兄弟と一緒に木からとって食べていたので、飢えはそこまで感じなかったそうです。
それよりも大変だったのは、都会から疎開してきた家庭の子供達と言っていました。
安全を求めて田舎に越してきたものの、農地もなく、その地域のコミュニティにも一から入って関係性を気づかなければいけないためです。
食べるものがなく道の草を食べたり、おばあちゃんの畑から勝手に持っていく人もいたそうです。
またおばあちゃんの家も食べ物はあると言っても決して満足ではなく、おばあちゃん自身も弟の1人を幼いときに亡くしています。
遊ぶのは畑や海ばかりと行っていました。兄弟や友達とみんなで遠泳して向こう岸までついたものの、戻ることが出来ず困ったというエピソードを聞いて、そんなに泳げるなんてすごいなぁと思うと同時に、親なしで海に行きそのまま知らない土地まで行ってしまう自由さに、今ではなくなってしまった平和や自由を感じていました。
おばあちゃんは、小学校を卒業すると、実家である農家を手伝いながら、編み物や裁縫の学校に通って手に職をつけたそうです。
私が小学生の時はよく祖母は家で洋裁をして、自作の服を作っていました。70歳を超える今でも、祖母は編み物を趣味として私に毛糸の靴下等をプレゼントしてくれます。
教養という面では、おばあちゃんは十分な教育を受けられなかったかもしれませんが、戦時戦後と大きな苦労はあったもののその中で実学を身につけてその後50年以上そのスキルを活かして楽しんでいる姿を見ると、大学まで進学させてもらったのに就職や私生活にその学びを全然活かせていない自分が恥ずかしくなるばかりです。
お見合い結婚ながら仲良しだったおじいちゃんを2年前に亡くして一人暮らしをしていますが、おばあちゃんには残りの人生を友達や家族と幸せに暮らしてほしいと思っています。また、戦争から時が経ち、遠い昔の話のように思いますが、おばあちゃんが「戦争は絶対にいけないよ」という時の真剣な表情を忘れないようにしたいです。
※画像はイメージです。
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