日本中に「カボチャ」が落とされていました。
アメリカの言うところで、カボチャというのはなんなのでしょうか?
ファットマンとリトルボーイ
ファットマンとリトルボーイとは、言わずと知れた日本に落とされた原子爆弾のコードネームで、広島でリトルボーイ、長崎でファットマンが使用されました。
爆弾形状の違いを米国人特有のユーモアで表現したネーミングですが、その内容的は下記の様に全く違うタイプの原子爆弾でした。
ファットマン | リトルボーイ | |
爆発物 | プルトニウム239 | ウラン235 |
爆発力(TNT換算) | 21kt | 15kt |
重量 | 4.5t | 4.0t |
全長 | 3.25m | 3.0m |
直径 | 1.52m | 0.7m |
起爆方式 | インプロ―ジョン | ガンバレル |
米国が原子爆弾の開発製造を行ったマンハッタン計画では、この2種類の研究は同時進行でした。
ウランの核分裂はナチスドイツで既に実証されており、プルトニウムそのものの生産方法が確立していなかったため、当初はウラン型が実現の可能性は高いと見られていました。
しかし後にプルトニウム生産に成功し、実戦配備はプルトニウム型のファットマン中心となりました。
ウラン235は資源量が非常に少なく、核爆弾に使用する為の濃縮技術が難しいのに比べ、プルトニウムは自然界に大量の存在するウラン238が原料で原子炉で比較的簡単に生産できます。
しかも爆発効率がウラン235より高く、威力の大きい事が予想されたからです。
史上初、未知の爆弾
この2種類の原子爆弾製造に成功した米国は、いよいよそれらを実戦に投入する事になります。
その威力はもちろんの事、形状や大きさ・重量など何もかもが軍事史上初の爆弾で、特にファットマンはそれまでの最大級の通常爆弾1トン(2000ポンド)爆弾と比べて、4.5倍の重量で大きさも約2倍でした。
即ち爆弾落下運動、任務機への爆発後の影響など全てにおいて未知だったので、全く新たな運用方法を準備しなければならず、そのためのデータ収集と投下及び退避訓練が必要になりました。
14機のボーイングB29で特別編成された、原爆投下作戦専任部隊・第509混成群がこの準備を始めました。
その基本編隊は3機で、爆撃目標地の気象観測機1機、原爆搭載専用に改造された爆弾搭載機1機、効果測定の科学観測機1機と、それまでの大編隊での爆撃作戦とは、爆撃行動も全く異なっていました。
PUMPKIN BOMB カボチャ爆弾
爆撃訓練とデータ収集のために用意されたのは模擬原子爆弾でした。
形状・重量・サイズがファットマンと全く同じで、しかし原子爆弾ではなくTNT火薬1万ポンドの通常爆弾が、それまでの多用された2千ポンド爆弾の5倍の大きさですから、通常爆弾とは言え新型ではありました。
黄色く塗られたずんぐりむっくりの爆弾は米国人にはカボチャに見えたようで、彼らはそれを「PUMPKIN BOMB」(カボチャ爆弾)と名付けました。
カボチャ爆弾は115発準備され、内49発が投下訓練とデータ収集のために日本の18都府県30都市に投下されて、1600人以上が死傷しました。
そして1945年8月6日午前8時15分広島でリトルボーイが、8月9日午前11時02分長崎でファットマンが炸裂します。
核兵器開発競争の始まり
第二次世界大戦終結後は米ソ対立の時代に入り、核兵器開発競争が始まります。
核兵器は原爆から水爆へと進化してその威力が飛躍的に増大し、中共、イギリス、フランスなど保有国も増えて世界の核爆弾数が急増しました。
さらにはロケット技術の躍進で核兵器の脅威は増大し続けています。
現在益々現実味を帯びてきたこの核戦争の恐怖は、実に「カボチャ」というふざけた名の爆弾から始まったのです。
世界で唯一、核兵器で被爆し、二つの核保有独裁国家が隣国の日本人としては、「カボチャが空から降って来た」と笑っている場合ではありません。
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