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吉原遊郭の遊女「花魁」知っているようで知らないその存在とは?

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花魁は最も高いクラスの遊女(売春婦)のことです。
江戸時代において吉原遊郭は幕府によって認められており、もともと日本橋人形町にあったものになります。火災などによって浅草寺裏にまで移転しましたが、明治時代初期までは歓楽街として大勢の人が利用していたエリアです。

基本的に彼女たちは売春婦になるのですが、スター的な華やかな存在としてもてはやされ、当時は人々の憧れの的でした。

目次

花魁とは

花魁はもともとは太夫と呼ばれていましたが、これは遊郭で働く女性のことを意味しており、彼女たちの中でもレベルの高い存在でした。花魁に名前が変わったのは禿や新造が姉女郎をおいらんと呼んだことから派生したと言われています。初めて遊郭というものができると全国から多くの女性が働くために、働かされるために集まってきました。

遊郭の女性たちと花魁

女性たちは年季奉公というシステムにおいて働いており、店に売られて来る少女が多かったです。小さな頃から姉女郎の世話をしながら、教養や芸事などを身につけていました。ある意味親元にいるよりも、いろいろな教育を受ける機会に恵まれていましたが、中でもトップクラスになれるのはほんの数名です。

花魁の立場や階級

彼女たちは大名道具とも呼ばれており、大名や一部の金持ちの商人などを相手にしていました。もしお客になれたとしても、彼女は客よりも上座の位置に座っており、客よりも格上であることをアピールします。

いろいろなクラスがあり、例えば上級クラスの場合呼び出しや付廻などと呼ばれます。下級クラスの場合振袖新造や禿などと呼ばれており、上級クラスを揚げるにはいろいろな仕来りがあり、すぐに関係を持つことはありませんでした。藩主や商人たちは大金をつんで果敢に彼女たちに挑むのです。

庶民では相手できない

遊女と親しい関係を持つためにはいろいろなルールが存在しており、1~2回目では会話することはありません。飲んだり食べたりすることもなく、お客は品定めしていきます。3回目になるとやっと馴染みのお客になることができ、それまでにお客は何もないのに大金を支払うことになるのです。

上級クラスになると現代の相場で400万~600万円のコストがかかると言われているので、一般庶民が遊べる相手ではありません。一部のお金持ちの男性にとって花魁遊びはステータスになっていましたが、それでも通い続けるのは大変だったことでしょう。花魁と芸者はよく似ているようなイメージがありますが、基本的に前者は身(み)を売り、後者は自分の芸を売りながら生きています。

花魁のリスク

彼女たちにとって妊娠は避けなければならない問題で、いろいろな避妊方法が行われていました。女性器に和紙を詰めて精子の侵入する方法があり、これは上げ底と呼ばれています。行為の後はお湯で洗い流していたり、当時お腹のツボにお灸すると避妊効果があるとされていました。避妊薬も登場しており、毎月1日に飲むと効果を得ることができるそうです。中には避妊に失敗する人もいましたが、そのような場合専門の堕胎医によって手術が行われるようになります。

中絶することができず出産する人もいましたが、里子に出されたり見習いとして育てられることが多かったです。仕事柄、性病のリスクが高いことで知られており、当時梅毒は恐ろしい病気でした。当時の医療では治すことができず、進行していくと容姿に影響を与えるようになり、最終的に亡くなる人が多かったようです。

花魁の生涯

彼女たちはさまざまな人生を送っており、病気で死んでしまう人も多かったです。身請け金が支払われた後幸せに暮らしたという人もいますが、不幸な人生を送った人もいます。基本的に年季は最長10年になっており、27歳頃に年季があけ独立できるというルールがありました。いろいろなエピソードがあり、2代目高尾は藩主から想いを寄せられましたが、彼女には以前から想い人がいました。

しかし彼女は身請けを断れるような立場ではなかったので、隅田川に身投げしようとしますが、藩主により船から吊るされ殺害されたという説があります。結局藩主と結婚したという説もありますが、彼女の恋愛ストーリーは歌舞伎にもなっており、江戸の人の涙を誘いました。

花魁のトップは?

最も美しいとされたのは高尾太夫で、筆頭になっている源氏名になります。その名前に相応しい者が襲名していき、初代は仕事を引退した後尼僧になっており、2代目はその悲恋が歌舞伎になっていることで有名です。その後も何人もの女性がこの名前を継いでおり、それぞれ逸話を残しています。

最後に

1957年に売春防止法ができたことによって、遊郭はその華やかな歴史に幕を下ろすことになります。吉原はなくなりましたが、京都には太夫が3名在籍していて芸妓として活躍しています。

花魁は外見の美しさはもちろん、教養が高く情やきっぷの良さなども持ち合わせていた女性です。彼女たちの人生はさまざまな歌舞伎や人形浄瑠璃、落語など多くの作品に見ることができます。

※画像はイメージです。

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