祖父母や父、親戚などから聞いた太平洋戦争で戦死した、会ったことのない叔父の話をします。
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戦死した会ったこともない叔父
今は少子高齢化など言われますが、昔は子供が沢山生む家庭が多かったのです。
私の父は7人兄弟の末っ子。長男とは20歳以上の年齢差がありました。
正確にはわかりませんが、父がまだ幼いころに叔父は20歳くらいという若さで戦死しました。
私が生まれる20年くらい前のことで、当然、会ったことはないので実感は湧きません。
水上偵察機
叔父は水上偵察機という飛行機で、わかりやすく言えば後方支援のような役目をしていたそうです。
水上偵察機とは空を飛び、水上に着陸できる飛行機で攻撃はできないが、敵の動向を仲間に伝える役目ですね。
乗っている艦船から偵察に飛び立ち、帰ってこなかったらしい。
多分、偵察中に撃ち落されたのだろうけれど、詳しいことは解らず、遺骨もなく、ただ戦死したと連絡があっただけで、最初は家族のだれもピンとこなかったと聞いています。
当時のことは全くわかりませんが、その中で父は叔父の戦死の一報を聞いた時、「くやしい、自分も戦争に行きたい」本当にそう思ったそうです。
この気持ちは当時を考えればわからないでもないですね。
そして
唯一のこっているのは、だれかに笑いかけている叔父の写真と、家族の思い出。
どうも大人しくて優しく、家族のみんなに好かれていたらしい。
もし戦争が無ければ、会えたかと思うとすこし寂しい気持ちがします。
※写真はイメージです。
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