おじいちゃんから聞いた話です。
いわゆる赤紙召集で陸軍に取られ、おじいちゃんは陸軍の歩兵だったそうです。
召集された時既に昭和19年で既にかなり戦況が悪く、南方行きが早くから決まっていながら輸送船が出ないため、歩兵本来の任務より輜重兵みたいなことをさせられていたそうです。
食糧状態も悪くなっていた連隊ではよく山に狩りに出かけていたそうで、おじいちゃんは福島の山で育ったこともあり、鹿やイノシシを捕獲しては連隊に持ち帰り、兵の貴重な蛋白源としていたそうです。
そのため、厳しい連隊勤務ではありながらも重宝がられ、二等兵でありながらいじめみたいな目に遭ったことはなかったといっていました。
また山に入らない日は町に行き、防空壕の設営に協力したそうです。
防空壕は大人数が入るかなり大規模なものだったそうで、おじいちゃん曰く今の地下鉄みたいな感じだといってました。
崩れないようにトンネルを掘り進める要領がいるため、さながら土木工事みたいな感じだったそうです。
実はおじいちゃんは家業を継ぐため、工業学校を受験しているのですが落ちてしまい、已む無く商業学校にまわった経緯があります。
連隊では簿記とかではなく、技術に近い仕事というか任務が出来たので嬉しかったと述懐しています。
復員後は、連隊での経験から土木の仕事をするようになり、家業の工務店を土木会社に改組しています。
結局おじいちゃんは、南方に行くことなく終戦を迎えました。
召集を受けたときに親から書かされた遺書が要らなくなったので、いつまでも死ねなくて今も生きているんだと笑っています。
※画像はイメージです。
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