米国でNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のスーパースターになるということは、すなわち国民的英雄になることを意味する。たとえ肌の色が黒くても、それは変わらない。
バッファロー・ビルズの名ランニングバックとして名をはせ、プロフットボール殿堂入りをはたし、「ジュース」の愛称で老若男女に親しまれ、俳優としても成功したO・J・シンプソンは、「スーパースター」という響きがよく似合う男だった。
その彼が、美しい白人の元妻とその交際相手を殺害した容疑で逮捕されたのは1994年6月16日のこと。このときOJは46歳。
彼が犯人であることを示す数々の証拠があった。「早々に有罪判決が下るだろう」という検察局の楽観的観測のなか、OJは5億円を投じてセレブリティ御用達のスーパー弁護士軍団「ドリームチーム」を編成して裁判に臨む。まあ、大枚をはたいて無罪請け負い人を雇い入れる時点で真相は推して知るべし、か。
孤軍奮闘のロサンゼルス地方検察と、争点を人種問題にすり替える全米選抜弁護団の8か月にわたる攻防戦。スーパースターは勝利の女神をも味方につけて、「運も実力(財力?)のうち」を証明してみせた。
今回は、事件発覚から刑事裁判までの軌跡をたどりながら、O・J・シンプソンを無罪に導いた真の理由を考える。
堕ちた偶像
オレンタール・ジェームス・シンプソンは1980年1月23日に現役を引退した。最後のチームはサンフランシスコ49ers。天才ランナーであると同時に、ディフェンスのホールを探す能力に長け、カットバックする能力が人並み外れたプレイヤーだった。
「ジュース」の愛称は、オレンジジュースの略語「OJ」に由来する。華のある容貌も手伝って、選手時代から俳優としても活躍し、多才ぶりを発揮した。
パニック映画の傑作『タワーリング・インフェルノ』では、火災現場となった超高層ビルの一室にとり残された猫を助ける心優しい保安主任。『ターミネーター』第一作のT-800は幻の役になってしまった。最終的に役を射止めたアーノルド・シュワルツェネッガーとともに、OJもキャスティング候補に挙がっていたのをご存知だろうか。
幼い子どもですら、その顔を知らぬ者はないほどの人気者だったO・J・シンプソン。
大いなる疑惑のはじまりは、ある夜、ロサンゼルス市警察にかかってきた一本の通報だった。現場に駆けつけた警官は、ニコール・ブラウンと彼女の交際相手とされるロナルド・ゴールドマンの無惨な遺体を発見する。これが1994年6月13日未明のことだ。
ニコールはOJが2年前に別れた元妻で、殺害現場は彼女の自宅玄関前。ロナルドは長身のうえマーシャルアーツの達人でもあったため、犯人は彼に勝る体格と身体能力の持ち主であろうと推察された。
このとき、現場で犯人のものと思われる血に染まった左手の革手袋が見つかっている。発見者は、のちの刑事裁判でキーパーソンとなるロス市警きっての敏腕刑事、マーク・ファーマンである。
まもなくO・J・シンプソンが最有力容疑者として浮上する。状況証拠はもとより、殺害現場に残された物的証拠がその場に彼がいたことを物語っていた。
- 現場に残された犯人の靴跡が一人分だったため、単独犯による犯行と断定
- その靴跡とOJの靴のサイズが一致
- OJは離婚後もニコールに執着し、つきまとっていた(復縁を望んでいたのはニコールのほうだったという証言もある)
- 現場に落ちていた犯人の革手袋の片方がOJの自宅から発見された
- 現場に残された犯人の血痕とOJのDNA型が一致
ただちに第1級殺人罪の逮捕令状がおりた。
OJと警察のカーチェイスに全米が大興奮
さて、逮捕状がだされたことを知ったOJはどうしたか。なんと愛車フォード・ブロンコを友人に運転させて逃走をはかったのだ。警察が逮捕・連行のためOJの豪邸に着いたとき、すでに自宅はもぬけの殻だった。
ヒーローにあるまじき行為。これでは「クロだから逃げた」と思われてもしかたない。ところがこの逃亡劇、じつは全米のトップ弁護士を確保するための時間稼ぎだったことがのちに判明する。
まもなく善良な市民から、「フリーウェイを走ってる車にOJが乗ってんだけど!」という通報があり、警察は、「O・J・シンプソン、白のブロンコで逃走中!」という情報を流す。居場所を知られたOJは、なんとかパトカーの追跡を振り切ろうとする。
テレビ局は追跡劇をヘリコプターから生中継。フリーウェイはOJを追いかける車であふれ、沿道には大勢のファンが繰りだして、いつのまに製作したのか、ボードを掲げて“Go! OJ!(逃げろ、OJ!)”と大声援を送る。イッツ・ショータイム。
ところで、この逃亡劇。あたかも映画さながらの爆走カーチェイスを繰り広げたように語られることがあるが、それはちょっと違う。実際はかなりスピードを落としたノロノロ運転だったため、あっという間に追いつかれて、まるで「VIPが警察車両に護衛されている」体になってしまったのだ。見物人からは「ありえねえ」「こんなOJは見たくない」といった声もあがっていたという。
容疑者がアフリカ系アメリカ人ということで、ロス市警が市民を刺激しないよう配慮していたことがうかがえる。LAは多人種都市だ。あのロサンゼルス暴動から、まだ2年しかたっていなかった。OJを応援する人々のなかには、日頃から警察に嫌悪感を抱く人もいただろう。「ロス市警には人種差別的な思想が蔓延している」という世論がOJの追い風になったのは想像にかたくない。それだけ警察が嫌われていたということだ。
この逃亡劇には、おもしろいこぼれ話がある。
テレビ中継の時間帯には、ピザのデリバリーサービスが全国で激増したというのだ。視聴者がテレビの前から離れられず、カーチェイスに釘付けになっていたことがうかがえる。まさにOJ特需である。
反対に、とばっちりを受けたのがNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)だった。同時刻に行われていたNBAファイナル第5戦、ニューヨーク・ニックスvs.ヒューストン・ロケッツはすっかり忘れ去られる憂き目にあった。
結局、カーチェイスはOJの逃げ切り勝ちに終わる。俊足の面目躍如である。夜になって自宅に戻ったところでロバート・シャピロ弁護士と合流し、その立ち合いのもとでようやく逮捕の運びとなった。
俺はO・J・シンプソンだ!
たとえお縄になったとて、スーパースターの心は折れない。OJは「100%潔白」を主張して、あくまでも勝ちにいく。決着は裁判でつけることになった。
無罪を勝ちとるために用意したのは、経験豊富なスター弁護士に法医学者、DNA鑑定研究者、憲法学者。その弁護費用は当時の日本円にして総額5億円というから規模の大きさがうかがえる。「全米選抜のドリームチーム」と称された弁護団の顔ぶれは、とにかく豪華のひと言につきる。
- ロバート・シャピロ(ハリウッドスターの事件を多く担当する全米No.1の弁護士)
- ヘンリー・リー(法医学者。ケネディ大統領暗殺事件、ジョンベネ殺害事件を担当)
- ジョニー・コクラン(マイケル・ジャクソン裁判を担当、人種裁判において全米No.1の弁護士)
- アラン・ダーショヴィッツ(憲法学者。マイク・タイソン強姦事件を担当)
このほかにも「無罪請け負い人」の異名をもつフランシス・リー・ベイリー、キング牧師の遺体解剖を担当したマイケル・バーデンらが名を連ねる。
ドリームチームの辞書に「負け」はない。たとえ物的証拠・状況証拠が有罪を示していようと、無罪をもぎとるのが彼らの仕事なのだ。5億円分の期待に応えなければ意味がない。
世論をモニタリング調査したところ、国民の反応はふたつに割れていることがわかった。黒人はOJを支持し、白人はクロだと考える傾向にあるようだ。
O・J・シンプソンは黒人の大スター。ロバート・シャピロは、ロス暴動からつづく異人種間の対立と、警察への非難の声を利用できないかと考える。おあつらえ向きの情報が飛び込んできたのは、そんなときだった。
「あのー、ちょっといいですか。現場検証をしたファーマン刑事って、やり手で通ってるけど、黒人嫌いで有名なんですよ。な?」
「うん。本当だよ、おじちゃん」
弁護団は「人種問題」という観点を裁判に持ちこめば勝算はあると考えて戦略を立てる。つまり、ロス市警の陰謀説をぶちあげて、証拠捏造の可能性を指摘するのだ。シャピロはさっそくメディアにファーマンの情報をリークする。この一連の流れは、「絶対に負けは許されない」という弁護団の執念が引き寄せたギフトのように思えてならない。社会情勢を読み、ささいな情報もチャンスに変えてしまうからこそ、彼らは全米屈指の辣腕に登りつめたのだ。
方向性が決まれば、つぎにすべきことは人種問題を得意とする弁護士の補充である。事件現場こそセレブが多く居住する高級住宅地だったが、陪審員に選ばれるのは普通の市民なのだ。実際にロス暴動を体験した一般市民の共感を得られる弁護士が欲しかった。白羽の矢が立ったのは黒人弁護士ジョニー・コクラン。ところが、コクラン投入を勧められたクライアントはこう言い放つ。
「裁判を人種対立の方向に導く? なんだそれ。俺は黒人じゃない。俺はO・J・シンプソンだ!!!!!!!」
ついに本音が飛びだした。つまり、OJはこう言いたかったのだ。
「俺をそこらの黒人と一緒にするな。俺は白人のセレブと同じ特権階級の人間なんだ。人種問題の弁護士などお呼びじゃない!」
なんということはない。OJ自身が、黒人であることを忘れたい差別主義者だったのだ。二人めの妻や友人たちが白人だったのも腑に落ちる。名声は、ときに人を狂わせるから恐ろしい。
ともあれ、被告人がこれでは陪審員の心をつかめない。弁護団はOJに法廷での発言を禁止する。勝ちたければ、きみは一切しゃべるな。
シャピロは「勝つためにはコクランが必要だ」とOJを根気よく説得する。OJはついに折れ、ジョニー・コクランがドリームチームに加わることになった。
米国の陪審制と日本の裁判員制度
ここで、米国の陪審制と日本の裁判員制度の刑事裁判について簡単に触れておこう。
どちらも一般市民の常識を審理に反映させるために設けられた制度という点は変わらない。
異なるのは、陪審制では、「被告人がその罪を犯したか否か」よりも「陪審員の共感を得られるか否か」が判決に大きく影響するということだ。なぜなら12人の陪審員は審理に立ち会い、そこで見聞きしたことだけにもとづいて、彼らだけで評議して有罪か無罪かを決める。評決までの過程に裁判官の関与は一切ない。裁判官は、陪審員がだした評決に従って判決を下すのである。
一方、裁判官とともに審理の全過程に関わるのが裁判員。たとえば法廷で被告人や証人に質問したり、証拠書類の調査をすることもできる。裁判員は有罪か無罪かだけでなく、量刑についても判断する。そういう意味では、裁判員は裁判官に近い立場といえるだろう。
O・J・シンプソン事件では、OJが犯人であることを示す多くの証拠があった。しかし、そうした不利な状況のなかでさえ無罪を勝ちとる方法があったのだ。それは、「どうすれば陪審員が証拠は無効だと信じるか」。
さらに全米のエースたちは権利を最大限に行使して、12人の陪審員のうち9人を黒人にすることに成功した。だから検察側も夢のチームをつくるべきだったのだ。
そして1995年1月25日、いよいよ世紀の裁判の初公判が開廷する。
featured image:Peter K. Levy from New York, NY, United States, Public domain, via Wikimedia Commons
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