1994年、NFLの元スター選手にして人気俳優のO・J・シンプソンが第1級殺人罪で逮捕・起訴された。
被疑者が国民的英雄であったことから、逮捕から判決までの動向はトップニュースとして報じられ、ロサンゼルス暴動からつづく異人種間の緊張の高まりもからんで、米国で社会現象を巻き起こす事態となった。
国民的スターが一転して殺人事件の容疑者に。世界中が注目した裁判は、捜査にあたった白人刑事の黒人蔑視発言をきっかけに証拠の信憑性が疑われ、いつのまにか人種問題に争点が移っていく。法廷のOJは、「人種差別的体質のロス市警に罪を着せられた悲劇のスター」になっていた。
1995年10月2日、彼に無罪判決が言い渡されるのを国民が生中継で目撃する。つまるところ、誤認逮捕。
では、あれほどあった物証は? 財力さえあれば無罪も買えるということか。
世紀の裁判の舞台裏
刑事裁判は、カリフォルニア州最高裁判所で1995年1月25日から約8か月にわたって開かれた。被告人はオレンタール・ジェームス・シンプソン。起訴内容は元妻とその交際相手殺害容疑。
事件が起きた1994年はロス暴動のわずか2年後であり、「ロサンゼルスの白人警官は差別主義者」として全米から非難されているという社会的背景があった。さらに本事件の被害者がいずれも白人で、被疑者が黒人であったため、人種偏見による審理が行われることを危惧して、裁判では異例の措置がとられることになった。日系人のランス・イトウが裁判官に選ばれたのも、その好例といえる。
異人種間の緊張の高まりは、当然ながら検察の求刑にも影響を及ぼした。仮に死刑を求刑すれば「被告が黒人だからだろう」と黒人社会の反感をかい、有期懲役を求刑すれば「有名人だから忖度した」と白人に非難される。「仮釈放なしの終身刑」というのが検察側の落としどころだったのだろう。
裁判の過程は逐一報道されていたが、それらは真相の解明というよりはスキャンダラスな内容に終始していたため、12人の陪審員はホテル生活を余儀なくされた。メディアの報道によって判断が左右されるのを防ぐため、テレビや新聞のない環境に隔離されていたのである。
検察側が示した物的証拠とは
この裁判の特徴は、O・J・シンプソンを犯人とする証拠がいくつもそろっていたことだろう。検察側が証拠として提示したもののいくつかを列挙する。
- ニコールは被告人と婚姻関係にあったときにDVを受けており、離婚後もつきまとわれていた
- 殺害現場に落ちていた血の付着した革手袋の片方が被告人の自宅から発見された
- 殺害現場に残された犯人の靴跡が被告人のサイズと同じ30cm
- 犯人の靴跡の左側に血痕が点々と落ちており(犯人は左手にケガを負った)、被告人の左手にも刃物で切ったとみられる傷跡があった
- 殺害現場に残された犯人の血痕と被告人のDNA型が一致
検察がこれらの証拠を示すことができたのは、事件の夜、現場で初動捜査にあたったマーク・ファーマン刑事の功績によるところが大きい。ファーマン刑事は過去に幾度も表彰を受けているロス市警きっての敏腕刑事である。今回の働きで、ふたたび称賛を浴びたまではよかったが、まもなく弁護団のシナリオによって「疑惑の警察官」の役どころを演じさせられることになる。
弁護側はいかに反証したか
刑事裁判では、「被告人が犯人であること」を検察側が100%証明できなければ有罪にはもちこめない。言い換えれば、検察側のだした
証拠に対し、弁護側が理にかなった疑問を呈することができれば有罪にはならない。審理において証拠は重要なファクターではあるのだが、判決は証拠だけでは決まらない。人が判断する陪審制では「共感」も大事なのだ。つまり無罪を勝ちとるには、証拠とやらの信憑性を失わせればよい。有罪か、無罪かを決めるのは、それを見ている陪審員なのだ。
全米のスター弁護士をそろえ、「ドリームチーム」と呼ばれた弁護団は、「殺人事件」ではなく「人種問題」という観点を裁判にもちこんだ。彼らはロス市警の人種差別的体質と、証拠品の取り扱いの不備をつき、反証を展開する。
- 被告人には新しい恋人がいて、ニコールを殺害する動機がない
- 婚姻時代のDVは今回の事件の証拠にはならない
- 凶器のナイフが発見されていない
- 血痕などの証拠品の管理がずさんであり、DNA鑑定が正しく行われていない可能性がある
- 現場の靴跡が被告人の靴の跡であることを検察は証明できていない
- 革手袋はサイズが小さく、被告人の手は入らない
- 被告人の左手の傷はホテルでグラスを割ったときに切ったものである
- 警察は被告人を犯人に仕立てあげるために革手袋を含む多くの重要証拠を捏造した
靴跡から判明したブルーノマリの靴については、そもそもOJの自宅から見つかっておらず、販売店にあたっても彼が購入したという証言が得られなかったため、彼がこの靴をもっていたとは断言できないと主張。
左手の傷については、実際にOJが滞在していたホテルのバスルームで彼の血液が付着したグラスの破片が見つかっている。
問題の革手袋も結果は同じ。検察がその手袋を陪審員の前ではめるようOJに指示したところ、なんと小さすぎて入らなかったのだ。法廷が水を打ったように静まり返るなか、コクラン弁護士が陪審員に語りかける。
「ごらんのとおりです。被告人の手は手袋に入らなかった。それでも彼を有罪にしますか?」
完全無欠と思われた証拠の数々は、ドリームチームによってことごとく突き崩されてしまったのである。
差別主義者ファーマン
有罪が証明されるまでは、被告人は推定無罪。したがって、OJが証言せずとも、弁護側が検察側の証拠を否定できさえすれば無罪にもちこむことができる。これが弁護団の作戦だった。彼らが目をつけたのはマーク・ファーマン刑事である。ファーマンが黒人の容疑者を痛めつけたり、罪を着せたりした過去を楽しそうに話す録音テープを入手していたのだ。
弁護団は、ファーマンが人種偏見・差別的思想の持ち主であると糾弾し、証拠品の数々は捏造された可能性が高いと主張。テープの再生中、彼が黒人の蔑称であるNワードを何度も口にするのを全員が確認した。
さらに弁護団は、「採取した被告人の血液を警察が故意に現場に撒いた可能性」など、事件直後の警察の不審な行動をいくつも指摘。審理の重点を人種差別問題に巧みにすり替え、裁判を有利に進めることに成功する。
証言台に立ったファーマンは、証拠品の捏造について弁護側に問われると黙秘権を行使した。「否定せず、黙秘を貫いた」という事実が心証を格段に下げたことはたしかだろう。マーク・ファーマンはヒーローから一転して疑惑の警察官になってしまった。
われわれ陪審員は被告人を無罪とします
1995年10月2日、公判は陪審員による評決へと移る。8か月にわたる長い裁判だったにもかかわらず、評議はわずか4時間で終了した。12人の陪審員は黒人が9人、白人が3人。12人とも、ほとんど迷いがなかったことがわかる。
評決は全員一致の「無罪」。この国では、いったん無罪が確定した刑事事件については再審理をすることができない。たとえこの先、本人が殺害を告白しようと、動かぬ証拠がでてこようと、無罪判決が覆ることはないのだ。二度とこの件で裁かれることがなくなったOJは天を仰いで叫んだ。
「俺はO・J・シンプソンだ!」
おっと、まちがえた。
「俺は人生を取り戻した!」
本当に人種カードがOJを無罪を導いたのか
黒人vs.白人の代理戦争と呼ばれることもあるO・J・シンプソン裁判。「黒人は無罪を望み、白人は有罪を望んだ」「黒人は判決に喜び、白人は失望した」と報じたメディアも多かった。
背景にロス暴動からつづく異人種間のひずみがあったことは事実である。だからこそ、弁護団は「人種」というカードをきった。だが、勝因は本当に人種カードだったのだろうか。
まず第一に、OJは「黒人の星」であると同時に「白人のスター」でもあった。逮捕直後から判決の日まで、彼を支持する白人が大勢いたことは当時の映像や写真をみれば一目瞭然である。一方で、成功したとたんに白人化してしまう黒人の典型であったOJは、黒人の反感をかうことも多かった。ことさらに人種問題を取りあげて、異人種間の対立構造をつくりあげ、世論を誘導していたのはメディアではなかったか。世論調査と実際の社会の反応はこれほどに違うのだ。
O・J・シンプソン裁判は、陪審制のデメリットがでてしまった裁判だという人もいるが、筆者はそうは思わない。むしろこの裁判は、米国の陪審制が本来の趣旨どおりに機能し、一般市民の健全な良心が表れた判例だと考える。
限りなくクロに近い人物が無罪になった。疑わしきは罰せず。これは正しいジャッジメントであり、推定無罪の原則にのっとって審理と評決が行われた事実にほかならない。検察側はスター弁護団を前に、OJが犯人であることを100%証明できなかった。
「これでもこの人を有罪にできますか?」
できない。有罪たらしめる、確たる証拠がない以上は。
つまるところ、証拠を積み重ねきれなかった検察の千慮の一失である。
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