昭和39年(1964年)、東京オリンピック開会式。
航空自衛隊ブルーインパルスが大空に五輪マークを描きました。
空中に輪を描く難しさ
下から眺める観客にすれば、スモークを吐きながら飛行機を旋回させれば輪ができると単純に思えますが、操縦するパイロットにすればそんな簡単なことではありません。
五輪マークは、開会式会場の国立競技場の観客(特に列席の天皇皇后両陛下)が良く見えるように、 適度な大きさで適当な方向に描かれなければならず、 そのためには、どの地点の上空に、どれほどの高度で、どれ位の大きさの輪を描くのかを決めねばなりません。
例えば高過ぎると季節風がスモークを散らして円にならず、 低過ぎると観客が五輪全体を見渡せなくなります。
パイロットたちは米国ノースアメリカン社から F86Fセイバーのテクニカルオーダー(取扱説明書のようなもの)を取り寄せて、高度・速度・Gと旋回直径の相関を研究しました。
そして赤坂見附交差点上空の高度1万フィートで、速度250ノット、2G旋回で直径6千フィートの輪を描けば、ロイヤルボックス(天皇皇后席)正面見上げ角度70度で五輪全景が見えると決定したのは1週間後でした。
しかも飛行機を真円で飛ばすこと自体が簡単ではありません。
スロットルや昇降舵・方向舵を一定に保つだけでは飛行機の航跡は真円にはならず、微妙な調節が必要だからです。
しかし空自でピカイチの飛行技術を持つブルーインパルスならそれ自体は不可能ではありませんでした。
勘だけが頼り
最も彼らが苦労したのは、同じ大きさの五つの輪を所定の位置に同時に描くことでした。
輪がずれては綺麗な五輪にはなりません。
地上のように地面に円を予めマーキングしておくわけにはいかないのです。
基本的な方法は、まず1・3・5番機の列と2・4番機の列が二列縦隊で、前後機の距離7千フィートで並列飛行します。
それぞれの位置関係は、2番機は1・3番機の右斜め45度の中間、4番機は3・5番機の右斜め45度の中間を位置します。
つまり1・2・3・4・5とジグザグに並んだ編隊で飛ぶのです。
しかしコックピットには僚機との距離や角度を表示する計器などありません。
後ろの機は前機との距離7千フィートを、2・3番機は僚機との角度45度を、それぞれ目視だけで保たねばならないのです。
この距離と角度が狂うと、ちゃんとした五輪が描けないのです。
彼らは最初、滑走路に飛行機をこの位置取りで並べ、僚機の見た目の大きさで覚えようとしました。
しかし地上と上空では背景が違うため大きさが違って見え、正確な五輪ができませんでした。
結局は何度も練習して、飛行中の僚機の見え方で適切な位置取りができる勘を養うしかありませんでした。
ビデオやデジタルカメラなどがない時代なので、その練習でできた五輪の形を上空の予備機や地上の整備士から後で聞きながら、何度も何度も調整を重ねることで、その勘を目と体に覚え込ませたのでした。
参照 ブルーインパルス 武田頼政 著
※写真はイメージです。
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