今からずいぶん昔、私は初めての子供を流産しました。
お腹に赤ちゃんがいるのを喜んだのも束の間、自宅で出血が始まりそのまま入院することになったのです。
赤ちゃんの無事を願って入院生活を送りましたが、流産の進行を止めることはできず手術に至りました。
私の悲しみはたいへん大きく、病室で大声で泣いたことを今でも鮮明に覚えています。
退院後、心と体を休めるために実家で数日だけ静養する予定でしたが、両親の都合により実家での静養が難しくなったため、親戚の家での静養に変更となりました。
昔から変わらない厳かな仏間
流産手術を終えて退院した後、私は数日静養するために親戚の家へ向かいました。
家に着くと、よく寝てしっかり休むようにと布団が敷かれてあるのが見え、その部屋は仏間です。
幼い頃からその仏間には何度も入ったことがあり、いつもと変わらない厳かな空間で、仏壇には祖母の遺影が飾られていました。
耳元で響く声
仏壇に手を合わせた後、心身の疲れを癒すため私は布団に入り目を閉じますが、なかなか眠れずにうとうと、ずっと意識があったような状態でいます。
目を閉じて数分立った時、どこかからお経の声が聞こえる。小さい声だったので、外から聞こえてきているのだろうかと思っていました。しかし、その声はみるみるうちにどんどん大きくなり、しまいには耳元で大勢の僧侶がお経を唱えているような、それぐらいの凄まじい声になった。
とても恐ろしくて私は目を開けられませんでしたが、大勢の大きなお経の声に耐えられず、目を開けると・・・その途端に辺りは静まり返り、穏やかな秋の午後の風景がただ広がっているだけでした。
私のいる方向
しばらくしておばが仏間に入ってきて、祖母の遺影の向きを変えているのを私は見逃しません。
私が仏壇に手を合わせた時にとは違って、いつの間にか私の布団の方向を向いていたのです。
おばには何も言わず、何も聞かず、寝る部屋を変えるように言ってきました。
祖母は、私が生まれた時にはもう亡くなっていました。
生前会えなかった孫と、生まれることができなかったひ孫を想った祖母が、大勢の僧侶にお経を唱えさせたのでしょうか?
祖母の想いに感謝
自宅に戻る日、仏間に入ると、祖母の遺影は布団のあった方向を向いていたのです。
いまだに心配してくれているかのようで、この時は不思議と怖さは感じません。
私は微笑む祖母の遺影を真っすぐに直して手を合わせ、「もう大丈夫だよ、ありがとう。」と心の中で唱えました。
※画像はイメージです。
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