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西郷隆盛よりスゴイ!大村益次郎を知っていますか?

歴史の陰に埋もれてしまった英雄がいます・・・。
西郷隆盛は知っていても、大村益次郎を知る人はあまりいません。

目次

蘭学の天才

大村益次郎は元々百姓相手の村医者です。
医者の看板を掲げれば誰でも医者になれた時代で、身分的にはほとんど最下級の出身です。
しかし蘭学を始めてからその能力が開花し、オランダ語読み書きの優秀さで、幕府や宇和島藩の蘭書翻訳機関の教授などに招かれるようになりました。

折から日本はペリーの黒船来航で大騒ぎになっており、国防のために西洋式軍備の整備が急務でしたが、オランダと交流しかなかった鎖国日本では、蘭書でしか西洋の知識を得られませんでした。
その翻訳を通して益次郎は、西洋の軍事技術にも精通する様になり、宇和島藩では一度も見たことのない蒸気船を、文献からの知識だけで完成させるほどでした。

エドアルド・キヨッソーネ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

軍事の天才

長州軍の総司令官となった後も、元々一介の農村医だった益次郎は乗馬ができないため、
出征する軍列の最後尾を総司令官がトボトボと歩いていたといいます。
また武芸どころか刀の抜き方さえ知りませんでした。
しかし蘭書から得た西洋軍事の知識は抜きん出て豊富で、計算し尽くされた合理的な思考方法で、その知識を実戦に見事に活かし尽くました。

彼は第二次幕長戦争や江戸彰義隊討伐で、圧倒的多数の敵に勝利したり、戊辰戦争後半の東北から五稜郭までの戦役で、官軍総司令官として指揮を執り、新政府軍を勝利に導きました。
その天才的な指揮能力は、新政府の実質トップである西郷隆盛をして感嘆せしめ、軍の裁量の一切を任され、現代に至っても軍事の天才と賞されています。
また軍人階級たる武士による戦(いくさ)から、平民徴兵による集団的近代戦への移行に後半生を捧げました。

西郷の反乱を予言

戊辰戦争の終結後の明治2年位から、軍政国防を預かる兵部省の長である兵部大輔の益次郎は、大阪とその周辺の軍事施設整備を推し進めます。

大阪城内に、歩兵・騎兵・砲兵などで構成された兵団・大阪鎮台を置き、同時に鎮台病院、士官養成の兵学寮、兵器工場の造兵司などが次々に創設されました。
その他にも、大阪・枚方や京都・宇治など周辺各所に、火薬製造所、火薬庫、兵器廠、獣医資材支廠(軍馬用施設)が整備されました。

孤高の人・益次郎は独特の人間観を持っており、明治維新の第一の功労者であり、新政府の最大実力者である西郷隆盛を、周囲の一般的評価とは全く違う観点から観ていました。
司馬遼太郎氏によれば、「九州から足利尊氏のごときものがおこってくる」と、益次郎は西郷を評したといいます。
つまり西郷を核にした大反乱を予言し、それは明治10年の西南戦争という形で現実化しますが、益次郎が大阪の軍事拠点化を進めたのは、その備えだった可能性が大きいのです。

瀬戸内海の海運を活かした、大阪から九州への軍隊と物資の輸送がもしなければ、西南戦争の勝敗は変わっていたかもしれません。
そうなると明治以後の歴史が全く違ったものになっていた可能性があり、それほどに大村益次郎の存在は、西郷隆盛に比しても決して劣ることない重要性を帯びてくるのです。

参考
花神 司馬遼太郎 著
サイト 大日本者神國也 大阪城周辺の陸軍施設

featured image:エドアルド・キヨッソーネ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

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