軽巡洋艦「大淀」~最後の連合艦隊旗艦~後編

潜水艦を指揮する潜水戦隊旗艦として作られた「大淀」でしたが、太平洋戦争は「大淀」にとって想定とは違う戦いとなりました。

連合艦隊旗艦「大淀」

「大淀」は昭和18年(1943年)2月28日に呉海軍工廠で竣工
本来ならば建造される「大淀」型の2番艦は昭和17年に建造が中止となり、「大淀」はだた唯一の艦型となった。
「大淀」は潜水戦隊旗艦ではなく輸送任務が与えられ、ラバウルやサイパンなどへ陸軍部隊や物資を運んだ。

昭和19年になると「大淀」の特徴である大型の水上機格納庫を中心に改装が行われます。これは「大淀」が連合艦隊旗艦となる事が決まり、格納庫を司令部として使う為です。
4機の航空機を収容できる格納庫を三段構造にして作戦室だけではなく、連合艦隊司令部の幕僚達の寝室や事務室など司令部として仕事が出来る環境が整えられた。
「大淀」の潜水戦隊旗艦として作られた通信能力の高さが連合艦隊旗艦への抜擢となりました。
改装が終わり5月に「大淀」は豊田副武連合艦隊司令長官の旗艦となります。

6月のマリアナ沖海戦では、通信施設がある瀬戸内海の柱島の沖に停泊する「大淀」から豊田長官は指揮を執った。
しかし連合艦隊旗艦であった時は短く、9月末に「大淀」はその役目を終えます。
これは神奈川県日吉の地下壕へ連合艦隊司令部が移ったからです。
「大淀」は最後の連合艦隊旗艦となったのです。

連合艦隊の終焉と「大淀」

昭和19年10月のレイテ沖海戦で「大淀」は空母「瑞鶴」や「千歳」・「千代田」・「瑞鳳」からなる機動部隊の一員として海戦に臨みます。
「大淀」は空襲で沈没する「瑞鶴」から、機動部隊の司令官である小沢中将ら司令部要員が移り機動部隊旗艦となります。
とはいえ、空母が全て沈んだあとの旗艦任務は残存艦艇をまとめての退却であった。

12月には米軍が上陸したミンドロ島への突入作戦である礼号作戦に参加
「大淀」は空襲で2発の爆弾が命中するものの、どれも不発と言う強運さを見せた。
ミンドロ島への突入では米軍の輸送船と飛行場を重巡洋艦「足柄」と共に砲撃し、作戦を成功させた。

昭和20年(1945年)2月には北号作戦に参加、「大淀」は格納庫にガソリン入りのドラム缶やタングステン・生ゴムなど重要な天然資源を載せ、航空戦艦「伊勢」・「日向」などと共に日本本土へ輸送する事に成功した。
連合艦隊がその終末に成功させた2つの作戦に参加できた「大淀」でしたが、昭和20年3月の呉空襲で機関を損傷、7月28日の呉空襲で大破着底し2年以上の生涯を終えた。

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<参考文献>
MILITARY CLASSICS VOL.72 第二特集「軽巡洋艦大淀」イカロス出版
超精密3DCGシリーズ29連合艦隊のすべて 双葉社

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