第二次世界大戦の1942年2月、ドイツ海軍は主力艦艇をフランスからドイツへ移動させる「ケルベロス作戦」を実行する。
移動ルートに選ばれたのはイギリス本土とフランス本土に挟まれたドーバー海峡だった。大胆な突破作戦の顛末について紹介します。
ヒトラーの命令
1941年のドイツ海軍は5月に戦艦「ビスマルク」を撃沈されてから主な水上艦艇はフランスのブレスト港に留まったままになっていました。
とはいえドイツ海軍は何も考えていなかった訳でも無く戦艦「ティルピッツ」をブレストの艦艇と合流させて大西洋で通商破壊作戦を行う。
巡洋戦艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」をブレストからジブラルタル近海へ送り英国の船団を襲う。
ポケット戦艦「アドミラル・シェーア」をインド洋へ出撃させる。
数少ない主力艦艇で積極的に打って出る案を考えヒトラーに提示しました。
しかしヒトラーは海軍の案を却下し主力艦をノルウェーへ送り敵の侵攻に備えるべきだと命じました。
ヒトラーはノルウェーに連合国軍が攻めて来る可能性は高いと考えていたのです。
ケルベロス作戦
ヒトラーはブレストからノルウェーへ艦艇を移動させよと命じます。
また移動のルートもヒトラーが決めました。ドーバー海峡です。
イギリス本土の目の前を通る事になるドーバーを奇襲的に突破せよとヒトラーは命じます。
ドイツ海軍総司令官のレーダーは難色を示しますがヒトラーの命令を実行に移します。
それが「ケルベロス作戦」です。
1942年2月12日に巡洋戦艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」に重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」・駆逐艦6隻の艦隊がブレストを出港します。
この時の艦隊は幸運だった。
出撃をイギリス軍に悟られずドーバー海峡に入れたのだ。
イギリス軍は沿岸砲台が砲撃し魚雷艇が向かってきたがドイツ艦隊には打撃を与えられなかった。
ドイツ艦隊へ空からアドルフ・ガーランド戦闘機総監が手配した戦闘機が援護に飛来しソードフィッシュ艦上攻撃機の雷撃を防いだ。
機雷で「シャルンホスルト」と「グナイゼナウ」が損傷を受けたが2月13日にはドイツ本国へ帰還を果たす。
イギリス海軍が大挙して妨害を受ける懸念は起こらず作戦自体はヒトラーの奇襲的突破と言う目論み通りに成功した。
「シャルンホルスト」はノルウェーへ向かい、1943年の12月の北岬沖海戦で撃沈され「グナイゼナウ」は空襲の損傷から回復できず主砲を降ろされ戦艦としての命脈は閉ざされた。
「プリンツ・オイゲン」はバルト海でソ連軍へ砲撃戦を行い終戦まで戦い抜く。
「ケルベロス作戦」はドイツ海軍主力艦艇にとって落日の始まりと言えます。
※画像はイメージです。
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