坊ノ岬沖からの帰還者

語り継ぐ

父には大勢、歳上の友人がいました。戦地帰りの人達です。

父自身は陸軍に徴兵されてはいたものの、若年のため前線に送られることはありませんでした。
それでも同じ時代に同じ組織にいた人間として、通じるものがあり、自然とそういった友人が出来ていったのでしょう。

パレンパン、ラバウル、インパール、ガダルカナル。友人達が就かされていた戦地は、いずれも凄まじい場所はかりでした。
生き残りである人達と父が知り合う機会が出来たのは偶然などではなく、それらの戦地に送り込まれた兵士が大勢いたからなのでしょう。

殆どは父と同じ陸軍でしたが、海軍の人も少ないながらいました。
その内1人(名前はBさんとしておきます)は、父にこんな話をしてくれたそうです。

「俺は駆逐艦乗りだった。それで、大和と一緒に沖縄へ向かったんだ」

艦隊による特攻である「天一号作戦」の中身がどの程度まで兵士に伝わっていたかは分かりません。
この作戦自体が俗説だらけで、はっきりしないことばかりです。Bさんにしても、ただ戦場での様子を簡潔に語ってくれただけでした。

「甲板に出ると、海の向こうから轟音と共に物凄い数の敵機が押し寄せて来るのが見えた」
「俺が乗っていた駆逐艦は、船隊前側の半分近くが千切れ飛んだ」
「沈みはしなかったし、自力で帰って来れたけど、艦上で夥しい死者が出た」

記録と見比べてみるに、この駆逐艦とは涼月のことなのでしょう。
この戦闘での涼月はウィキペディアの記録を読む限り、空襲から30分ほどで大破したとあります。
以後はひたすら後退して帰投したことや、火災がいつまでも続いたこと、途中にも雷撃機や潜水艦の襲撃を受け続けたことなど、凄まじいエピソードが次々出てきました。
そして死傷者が90名以上に及んだことも。

By United States Navy [Public domain], via Wikimedia Commons

Bさんの言葉はごく短いけれども、とても重いものだったのだと今になって思い出されるのです。

ちなみに涼月がその後、数奇な運命を辿ったことや、艦隊から落伍した際に大和とごく近い距離ですれ違ったことなども、ウィキにあるのが気になりました。
Bさん、もしかすると傷付いていく大和の姿を見ていたかも知れません。


Writing by MK

大阪ミナミ出身。
好きな現代(?)軍艦は駆逐艦シェフィールド。
約35年前あったフォークランド紛争の報道番組にて、一撃で撃沈される映像が流れて大ショックを受ける。
好きな日本軍機は零式水偵。
最近の悩みは、戦中の話をする人がいなくなって、それらを退屈なものだと受け取る若い人達が多くなってきたこと。