大坂大空襲の下での市民たち

語り継ぐ

昔、私が中学時代に学校の研究課題で戦争について調べるというものがあり、そのころ、まだ健在であったおばあちゃんに戦争とはどんなものであったか聞いたことがありました。
おばあちゃんは1945年ころ、大阪市に住んでおり大阪大空襲に遭遇したということはよく聞いておりました。

当時、母を含めて5人ほどの子供を抱え、祖父は衣料関係の工場を経営していたそうです。
そこへあの大空襲が襲い、おばあちゃんは5人の子供を、一番小さいものはおぶって、また一人は腕に抱き、あとの子供はそれぞれ手をつながせ、爆弾が落ちる中で火の海の中を逃げ惑ったそうです。

■都島区の鐘紡淀川工場付近

By United States Army Air Force [Public domain], via Wikimedia Commons

逃げる人の中ではおばあちゃんと同じような多くの小さな子供連れがたくさんおり、よく見るとおぶった子供は爆風のせいなのか、首のない子供も多く見られ血が吹きあがっていました。
おばあちゃんが「その子供、もう首がないよ、早く降ろすんだ」とその母親たちに言っても、半狂乱になっている母親たちにはもう理解することも不可能だったようです。

体の一部が吹き飛んで逃げ回っている人間はいくらもいたそうです。
そんな中で、なおも逃げ回っていたおばあちゃんたちは、ある池を見つけ、そこへ子供たちとともに飛び込みます。
苦しくて何とか浮かぼうとする子供の髪を鷲づかみにしながら水の中へもぐらせ、炎が迫ってくるのを避けながら空襲が収まるのを待ち続けたそうです。

■空襲後の大阪市街

See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons

そして空襲が終わった大阪は焼け野原となり、家も経営していた工場も何もかもなくなり、知り合いや親せきのものもかなり死亡したそうです。


Writing by さな
専業主婦で、ガーデニング、ピアノが趣味です。