実家に残る太平洋戦争の破片

語り継ぐ

私の実家に太平洋戦争の遺物が今でも残っています。
それは少年だった父が何気なく持ち帰った爆弾の破片です。

大きさが、高さ約15cm、直径約10cmの歪な円筒形の鋼鉄の塊で、手に取ると思った以上の相当な重量があります。

その凄みは表面に見て取れます。

片面は硬い鋼鉄の塊が強大な力で引き裂かれて鋭くささくれ立っています。爆弾の途轍もない爆発力が想像できます。

一方、その裏側はドロリと鉄の表面が溶けているのです。爆発時の高熱で鉄が熔解したのでしょう。
破片のこの両面は信じられない様な爆弾の破壊力を物語っています。

戦争中、少年だった父は大阪城のすぐ傍に住んでいました。

現在の大阪城ホールや環状線・大阪城公園駅、ビジネスパークのある広大な区域は、大口径火砲などの大型兵器を製造する、大阪砲兵工廠がありました。

当然、米軍の空爆目標となり、近隣の住宅街にも被害がでました。

終戦間際になると昼夜を問わない空襲が頻繁となり、その度防空壕に避難していたものの、しまいには面倒臭くなって「もう死んでもええ」とやけくそになったそうです。

ある日、空襲の跡を歩いていた父の目に付いたのが件の爆弾の破片でした。
「すごいなァ」と感じた父は、特にそれをどうしようという気も無しに持ち帰ったのだそうです。

戦闘機に銃撃された事もあると言っていました。

後ろから地面に着弾する土煙が追い掛けて来て、横っ飛びに側溝に飛び込んでやっと避けたそうです。

不思議な事に、爆弾の破片は70年以上の月日を経た今なお全く錆びないで黒鉄色に鈍く光っています。
それはまるで、私の知らないあの戦争を生々しく伝えようとしているかの様です。


Writing by 歴史大好き爺さん

太平洋戦争の戦時中の事はあまり語りたがらない父です。
経験していない私達には理解し切れない様な戦争への嫌悪感が、やはり父にはある様です。

正負両面において公平な視線であの戦争を理解する事が、これから同じ悲惨な戦争を再現しない為に必要だと思っています。

※画像はイメージです。