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太平洋戦争を第二次大戦全体から見ると

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第二次大戦は日本にとっては対米戦である太平洋戦争でしたが、米国にとってはヨーロッパ戦線を含む、まさに世界大戦でした。

目次

第二次大戦初頭の経緯

1939年
独軍ポーランド侵攻。英仏、対独宣戦布告。

1940年
独、仏占領、及び英国本土攻撃開始。

1941年
日本軍、対米英蘭宣戦布告。米・真珠湾と英・マレー半島攻撃。
独伊、対米宣戦布告。
独、ソ連侵攻。

米国の動き

第二次大戦初頭、米国の政策は戦争不介入でした。
しかし独が仏全土を占領し、英本土にまで上陸しようとするに至って、 米国は欧州戦線に本格的に介入を始めます。
何故なら、英国屈服による世界の英連邦と欧州市場崩壊は、 米国の安全と繁栄を脅すからです。

しかし一方でアジアでは日本の台頭が脅威となっており、 同時進行の両面作戦は負担が大き過ぎました。
米国は欧州戦線の英仏など連合軍を軍事的経済的に支援しながら、 太平洋・大西洋両面での参戦の微妙なタイミング図りつつ戦争準備を進めます。

危うかった連合国

第二次大戦は1941年(昭和16年)の真珠湾攻撃から始まったイメージが、私たち日本人にとっては強いですが・・・ 実はその2年前には欧州で既に始まっていました。
そして第二次大戦をアジア・欧州合わせて見渡すと、 この大戦の前半は日独を始めとする枢軸国側が圧倒的に優勢だったのです。

西欧州を席捲した独の英国本土上陸作戦が成りさえすれば、西欧州全域が枢軸国の勢力下に入り、それは同時に英仏蘭の世界中の植民地全域にまで枢軸国勢力範囲が広がる事を意味します。
それが現実となるまであと一歩でした。

無謀な対米戦争?

太平洋戦争を振り返る時、 小国日本が強大な米国相手に戦争した無謀を私たちは単純に思ってしまいます。

勝てる筈のない無茶な戦争だったと簡単に断罪しますが、 第二次大戦全体を俯瞰すると、両面作戦を強いられる米国もなかなか苦しい状況にあり、
今私たちが思う程余裕があったわけではないのです。

そういう意味では、この状況下で枢軸国側が適当な落し処を見つけて戦争終結を図っていたならば、世界の勢力図は今とずいぶん変わったものになっていたかもしれません。

歴史大好きじいさんです。
歴史は多面的に見なければ正しく理解できません。

※画像はイメージです。

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