私の祖父は父方も母方も他界していました。母方は病没でしたが、父方の方は太平洋戦争の時に南洋の海で藻屑となったそうです。父が元気な時は島の名前を聞きましたが、今は父から聞ける状態ではなくどこの島かはわかりません。
サイパンとかガダルカナルとか、そんなメジャーな島ではなかったことは覚えています。さて私の父方の祖母はそのために戦争未亡人となり、子供を連れての自殺を何度も考えていたといいます。そんな悲惨な状況の中、終戦を迎え敗戦のラジオ放送を聞いた時、難しくてあまり何言っているかは理解できなかったものの、なんとなく負けたことは理解し涙したと話していました。
一方、私の母方の祖父は「肺病の疑いあり」ということで徴兵を免れ戦地に行っていません。その代わりゼロ戦を作る会社に勤めていました。
今回は母方の親戚関係の話をしたいと思います。私の祖母はゼロ戦を作る会社で社内結婚で結婚したのですが、取引先に東洋一といわれた「大刀洗航空場」がありました。現在の社内便のように、社員がバイクで定期的に書類を届けていたそうです。
すると大刀洗で空襲があり、空港は大破、民間人もいっぱい犠牲になるという事態がありました。その時に祖母の会社の人が社内便を持って行っていたそうですが、ひどい目にあったと語っていたそうです。命からがら逃げだし米機の機銃操作までされて藁束に逃げ込んだと言っておりました。
そして社会で習ったことと、私が聞いたことで少しずれているのが、「おばあちゃん、戦争終わったときラジオ聞いて泣いたと?」「いいや、万歳三唱しよったよ」というのです。「えっテレビで泣きよる人が写っとるやん」「いんや、『戦争が終わった!萬歳!』と近所の人と万歳三唱した」といっていました。
どうも祖母の話を聞いていると、日本が負けているとは考えていないものの「早くこのきついの終わってくれないかな」といういえないものの暗黙の認識があったといいます。特高が怖いので誰も口にしなかったそうですが。
そして私は負けると知らなかったことを聞くので、「ヒトラーやムッソリーニが死んだのは知ってたの?」と聞いたことがあります。すると、「いや知ってたよ」「負けると思わんかったと?」「大体同盟を組んでいると聞いても正直ピンときていなかった、死んだという内容を見ても毎日空襲で何も感じる余裕がなかったのよ」と話していました。
確かにヒトラーが死んだのは4月。日本が空襲まっただ中であり、同盟国などの認識もあまり分からなかったというのはなんとなくそうかもなと感じたことがあります。
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