MENU

英国歴史的大失敗!珍兵器「パンジャンドラム」

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。

2022年9月上旬、同年2月24日に生起したロシア・ウクライナ戦争では、これまで基本的に自国内に攻め込まれ防御を主としていたウクライナ軍がハルキウ州の大半を奪還する攻勢を成功させ、今後の動きが注目されている。

ロシア・ウクライナ戦争において西側諸国の兵器支援を受けたウクライナ軍は、概ね南部のへルソン地域で大規模な反攻作戦を行う可能性が高いと見られれいたが、どうもこれは陽動で東部のハルキウ州奪還が目標だったようだ。
今後も大きく軍事史に残るかのような見事な勝利を収めたウクライナ軍だが、こうした陽動作戦が企図した通りに嵌った戦いとして歴史上最も名高いのは、第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦であろう。

1944年6月6日に行われたこの「史上最大の作戦」は、アメリカを始めとする連合国軍がフランスのノルマンディーに上陸を敢行した戦いだが、主力の上陸地点をドイツ側に誤認させた事が大きな成功の要因でもあった。
そうしたノルマンディー上陸作戦の成功の陰には、実際にはそこには使用されなかったものの、余りにも有名なイギリスの失敗兵器・「パンジャンドラム」の存在が見え隠れしている。

目次

フランスへの上陸作戦支援の為に開発された「パンジャンドラム」

「パンジャンドラム」を外観から述べるならば、それは直径3メートルもの巨大な2つ車輪を並列に配して、その中心部分に1.8トンにも及ぶ炸薬を搭載し、自走して敵の陣地に突入してその破壊を目的とした兵器である。

この「パンジャンドラム」の2つの車輪のリムの部分には各々に9ケづつのロケット・モーターが取り付けられており、この噴射によって両輪を回転させて時速100キロメートルもの速度で直進させる事が企図されていた。
簡易な自爆兵器とする為に「パンジャンドラム」には進行方向や姿勢を制御する仕組みは全く備わっておらず、使用が想定される砂浜等の不整地ではまともに直進する事すらもままならない代物となった。

直進が出来ないことはおろか、「パンジャンドラム」は意図しない方向に転がってしまう他、リム部に取り付けられたロケット・モーター自体が脱落するなどのトラブルが絶えず、結局実用化はされなかった。
「パンジャンドラム」を手掛けたのはイギリス海軍の多種兵器研究開発部で、ここは第二次世界大戦における大西洋の戦いにおいて、水上戦闘艦の戦力で連合国に及ばないドイツが、Uボートで行った作戦を封じた部門としても知られている。

ここは大西洋で猛威を振るったUボートの無制限潜水艦作戦に対し、それらに「ヘッジホッグ」と呼ばれる24連装の対潜用の迫撃砲の開発に成功して連合国の優位を回復させた部署であり、実績は申し分なかった。
因みに「パンジャンドラム」とは18世紀のイギリスの劇作家として著名なサミュエル・フートの詩から名付けられたものであり、身分や地位の高い人物を指し示すものだが、ナンセンスさを風刺したものとも解釈されている。

同じような用途で一応実用化を果たしたドイツの「ゴリアテ」

イギリスが開発を進めた「パンジャンドラム」は結果的には実用化には至らなかったが、ドイツでは1940年にフランスを降伏させた際に同国で試作されていた兵器とその設計図を入手し、「ゴリアテ」を開発、実用化した。
「ゴリアテ」の初期型であるE型は全長1.50メートル、全幅0.85メートル、全高0.56メートルで重量が370キログラムで履帯式、第一次世界大戦で投入された世界初の戦車であるイギリスのマークⅠを小型化したような形状をしている。

この「ゴリアテ」は搭載する電気モーターで履帯を駆動し、最高速度は時速10キロメートルほどしかなかったが、最大で凡そ60キログラムの炸薬を搭載可能で有線ケーブルによるリモート操作を行う兵器だった。
後に「ゴリアテ」は機関部にガソリン・エンジンを採用したタイプや、最大の炸薬搭載量を凡そ100キログラムまで引き上げたタイプも登場し、シリーズ累計では7,500台以上が実際に生産される事となった。
しかしあまりに低速であり、装甲が脆弱で小銃等の銃撃でも破壊された事、また有線ケーブルで操作する形式であった事から、その断線で容易に使用不能に陥るなど、こちらも兵器としての有用性は疑問視されている。

但し個人的には「パンジャンドラム」に比すれば、「ゴリアテ」は兵器としての将来性は高かったように思え、今の無線による各種の無人兵器の隆盛にも繋がる示唆を含んでいたとも言えるのではないだろうか。

See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

パンジャンドラムが果たしたと思しき大きな役割

これまで見た来たように実用化には漕ぎつけなかった「パンジャンドラム」だが、兵器としてのコンセプトとしては生産性を考慮した簡易な構造と言い、搭載する炸薬量の多さと言い、注目すべき点は少なくない。
しかし「パンジャンドラム」が果たした役割として真に連合国にもたらされた最大の評価すべき点は、間接的にノルマンディー上陸作戦と言う一大反攻作戦の成功に関して、これを陰ながら演出した部分であろう。

前述した通り1940年にフランスを降伏させたドイツはヒトラー自身が「大西洋の壁」や「ヨーロッパ要塞」と豪語した、主としてスランスの海岸線沿いに構築した防衛線で連合国の反攻作戦を凌ごうとしていた。
ドイツはソ連との独ソ戦において1943年2月のスターリングラード攻防戦に敗れて以降、東部戦線では劣勢に立たされたが、アメリカやイギリス等はフランスに上陸して東西からドイツを攻める必要に迫られた。

ヒトラー自身が豪語した程にフランスの海岸線のドイツの防備は堅牢ではなかったが、古より攻撃側は防御側の3倍以上の兵力が最低限必要と言われるように、特に大規模な上陸作戦ではその上陸位置を悟られない事が肝要だった。
アメリカやイギリスはその為にノルマンディー上陸作戦に先駆けて上陸場所を悟られないように事前の工作を活動を行っており、それらの工作はフォーティテュード作戦として今日に語り継がれている。

このフォーティテュード作戦は上陸位置をノルウェーとフランスのパド・カレーの2か所だとドイツに見せかけるもので、「パンジャンドラム」の存在は後者の工作の一環で敢えてイギリスの海岸で実験をしたとも言われる。
これは当時パド・カレーの海岸線がコンクリート壁で固められていた事に照らして、如何にも「パンジャンドラム」がその破壊を目的に開発されたとドイツ側に誤認させる効果を狙ったものとされる説で興味深い。

異質な「パンジャンドラム」

これまで述べてきたように「パンジャンドラム」はそもそも実用化に至らなかった為、兵器としてまともに評価される対象にはなり得ていないが、兵器開発の歴史の中ではそうした存在は常に付きまとうようにも思える。
例えば第一次世界大戦で機関銃と塹壕によって戦線が膠着した事によって、その突破を企図して戦車が生み出され、当初は速度も遅く故障も多かったが、今に至るまで陸上の攻撃兵器としては変化し続けている。

また同じく第一次世界大戦のこうした状況下では、有毒ガス等の化学兵器も使用されたものの、こちらは運用の困難さから以後は下火となり、今も残ってはいるものの、通常の正規軍同士の戦闘にはほとんど使用されていない。
しかし「パンジャンドラム」は、結果的にノルマンディー上陸作戦における連合国の上陸地点を、ドイツ側に誤認させる効果を狙ったとする説が正しいと仮定すれば、情報戦に説得力を持たせた稀有な存在なのかも知れない。

featured image:British Government, Public domain, via Wikimedia Commons

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

どんな事でも感想を書いて!ネガティブも可!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次