第二次世界大戦の後期から末期にかけて、ドイツ軍の新たな中戦車として登場したV号パンター戦車
今回はその誕生の時である開発について紹介します。
T-34ショック
1941年6月から開戦したドイツとソ連の戦争、独ソ戦
ソ連に攻め込んだドイツ軍はソ連軍のT-34中戦車に遭遇し、大きなショックを受けます。
ドイツ軍がT-34に驚いた点は固い装甲・強い火力の砲・高い機動力の三点がバランスよく揃っている戦車だったからです。
T-34の1941年型で45ミリの装甲を張り、それが傾斜させている事で実際の厚さ以上の固さを発揮した。
火力は砲が76ミリ砲で、ドイツのⅢ号戦車の50ミリ砲では火力が劣る。(当時Ⅳ号の装備する短砲身75ミリ砲でも威力不足)
火力と装甲を強くすれば機動力が落ちると言うのがこの当時の戦車でしたが、500馬力のディーゼルエンジンで50km/h以上の速さで走ります。
走・攻・防が揃った理想の戦車がT-34なのです。
新型戦車の開発
T-34を目の当たりにしたドイツはT-34に対抗できる新型戦車の開発を始めます。
1941年11月、ダイムラーベンツ社とMAN社でVK-3002と名付けられた新型戦車の開発契約が結ばれる。
2社に出された仕様を大雑把に書くと戦闘重量は35トン、装甲は前面で60ミリ、側面で40ミリとし全てが傾斜装甲とする。
エンジン出力は650~700馬力である。
VK-3002よりも前に開発をしていたVK3001(Ⅲ号やⅣ号の後継となる戦車開発)では20トンの車体での開発を考えると大きな戦車となりました。
傾斜装甲による被弾避弾経始を取り入れ、T-34の影響を受けながらも、ドイツはT-34を越える戦車を作ろうと作ろうとしていました。
パンター誕生
競合する戦車開発で権力者の介入が起きます。
ドイツ総統アドルフ・ヒトラーがダイムラーベンツの案を支持し、軍需大臣アルベルト・シュペーアーに200両のダイムラーベンツ仕様のVK3002を生産するように指示を出します。最高権力者の支持でダイムラーベンツが優位に立ちます。
1942年5月、VK3002の開発を監督するパンター委員会は2社の提案を比べ、どちらを採用するかを決める。その結果はMAN社案でした。
その決め手はダイムラーベンツ社の戦車は車体が小さく、MAN社の砲塔が載せられるような共用性が無かったのです。またダイムラーベンツ社が砲塔の設計を完了していなかったのも不採用の要因となった。
ヒトラーはダイムラーベンツ社の案が心残りだったが、砲塔の設計が終わっていない事から量産までに時間がかかると分かると、MAN社の案で進めるのを許可した。
こうしてV号パンター戦車の形が決まった。
1943年1月に最初の量産型4両が作られ、試験に供された。
仕様要求の戦闘重量35トンから44トンに増えたものの、前面装甲は80ミリを実現した。
速さは650馬力の水冷ガソリンエンジンで最高速度55km/hを達成、武装は長砲身の70口径75ミリ砲で高い火力を備えた。
T-34と並ぶ、走・攻・防を備えた戦車をこうしてドイツ軍は持つ事が出来たのです。
featured image:AlfvanBeem, CC0, via Wikimedia Commons
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