敵味方双方で使われた「パンツァーファウスト」

二次世界大戦後半から末期にかけて、自国民向け宣伝映画「ドイツ週間ニュース」にも登場するようになった対戦車兵器である「パンツァーファウスト」ですが、生産開始は1943年夏というのは意外に早いという印象です。ある意味、末期ドイツ軍を象徴する兵器の1つである「パンツァーファウスト」について振り返ってみたいと思います。

生産は強制収容所!?

Bundesarchiv, Bild 146-1973-001-30 / CC-BY-SA 3.0 [CC BY-SA 3.0 DE]
第2次世界大戦で急速に発達した兵器の1つに戦車(駆逐戦車・自走砲も含む)があると思いますが、従来の対戦車砲では運用人数が多く、また、配置など運動性もよろしくないということで、歩兵などが簡単に操作できる対戦車兵器が求められるようになりました。

連合国側でいえば「バズーカ砲(M1バズーカ)」が有名なのですが、後に、このバズーカ砲を鹵獲したドイツはそのままコピーしたかのような「パンツァーシュレック」という携行型対戦車兵器を生み出すことになります。ただ、この「パンツァーシュレック」は操作に専門性を必要とするためか、戦車猟兵(※対戦車任務を行う兵士)のみに配布されることになります。

さて、歩兵ばかりではなく大戦末期には「国民突撃隊」として動員された老人や少年兵、果ては家庭を守るご婦人方にまで配布された「パンツァーファウスト」ですが、特徴は大きな弾頭部分ではないかと思います。最後の「ドイツ週間ニュース」となった1945年3月22号には、一般市民に対して「パンツァーファウスト」の使い方を示している将校の映像が収録されていますが、映像にもある通り弾頭をセットした後、発射用の火薬を指定箇所に入れてから発射操作を行うという、至ってシンプルな手順で使用可能になるものでした。

この「パンツァーファウスト」、生産はどこかとwikipediaの記述を見てみると「フーゴ・シュナイダー社で開発され、シュリーベン強制収容所が量産を担当し」という記述があることから、親衛隊(一般親衛隊)が管理していた強制収容所の人たち、ユダヤ人だけでなく政治犯や反体制活動家などが酷使されたというのは、人的資源が限られていたドイツとはいえ、ナチス体制の負の側面が関わっていたということを改めて知らされる思いです。

敵味方で大いに活用された兵器

Bundesarchiv, Bild 183-H28150 / CC-BY-SA 3.0 [CC BY-SA 3.0 DE]
話変わって、肝心の「パンツァーファウスト」の兵器としての成果、評判ですが。
有名なところでは、クラウゼヴィッツ師団の将兵3名が歩兵を伴わず進撃してきた英軍チャーチル戦車(バカみたいに装甲が固い)30両を3人で撃破し、その戦功により騎士鉄十字賞が贈られたということもありますし、また、独軍部隊が「パンツァーファウスト」を発射して味方である自軍のヤークトティーガー(重駆逐戦車)を破壊したという事例もあったとか。

そして敵が有効利用した最大の例と言えば、やはり1945年4月のベルリン攻防戦ではないでしょうか。
スターリングラード攻防戦以上の、アパートの1部屋をめぐる戦闘が市内の建物あちこちで行われる中、部屋の壁を効率的に破壊する手段としてソ連軍将兵がこの「パンツァーファウスト」を利用していたとか。

ベルリンを防御する独軍部隊も、「機関銃はないけど、パンツァーファウストはある」という本末転倒?な状況の中で、市内中心部に撤退する際、それなりの大きさになる「パンツァーファウスト」を遺棄して行ったのだが、その遺棄された兵器を有効活用しているというのも、ある意味「戦場あるある」な事柄なのかもしれないですね。

なんというのか、本来は生まれない方が良かったかもしれない兵器というか、現在の携行型ミサイルランチャーに繋がる兵器である「パンツァーファウスト」という兵器を通して、戦争と平和について考え直すのも良いのかな……と、そんなことを思ったりしています。


Name
「ガルパン」をキッカケにしてAFVモデル(1/35独軍戦車)制作に復帰した、アラファイ親父のるうと申します。

eyecatch source:Military Museum of Finland [Public domain]

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