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南方で黒豚とバナナでパーティー

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この話は私が高校生のころ、法事のときおばあちゃんや叔父に聞いた話で、おじいちゃんは太平洋戦争のころ、南方にいたことがあるそうです。

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南方でのごはん事情

おじいちゃんは太平洋戦争のころ、海軍に所属するパイロットでした。
おばあちゃんと結婚する少し前に南方に赴任しており、その頃の話をよく家族にしていました。

私が産まれた時には祖父はもう亡くなっていたのですが、南方での話をたくさん聞かされている、祖母や母、叔父などが祖父を偲びながら話していました。

戦時中の食糧事情

戦時中は戦争をするために様々な物資が不足してしまい、国民は食べ物が配給となったり、いろいろと苦労した話を学校では習っていましたが、実際は田舎ではお米は兵隊さんにと政府に取られてはいました。

しかし芋やカボチャなどは取られずに済んでいたので、空腹で悲惨なことはなかったんだそうです。

その頃祖父は

南方に赴任していた祖父は前線からは離れたところに待機していて、地元民の村の近くに宿営していました。

規律のとれた隊にいたらしく、地元民を脅したり、いじめたりすることはなかったそうで、しばらくすると地元民と仲良く交流をもってきたそうです。

そこで地元にいた黒豚をよく食べた!と言っていました。

家畜としてではなく野生の黒豚がたくさんいて、捕まえたのを地元の人にさばいてもらい一緒に食べていたそうです。

野生だからか、よく走り筋肉がついた豚で固かったけれどうまいぞ・・・と話していたそうです。

加えて南方だからか、バナナがくさるほどあって、食べまくったことも自慢していたらしく、戦後バナナの話をきいた母や叔父はものすごく羨ましがっていたんよ・・・と、おばあちゃんは話してくれました。

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